第3話 背水の陣で飛び込んだ世界 | デザインってオモシロイ -MdN Design Interactive-
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様々なジャンルで活躍するデザイナーの来歴をたどるシリーズ。今回は株式会社イメージソースの清水幹太さんを取材し、ディレクター/デザインエンジニアとして活躍する今日までの足跡をたどりま


第3話 背水の陣で飛び込んだ世界



渋谷区神泉のオフィスにて、清水幹太さん

渋谷区神泉のオフィスにて、清水幹太さん


負のエネルギー、ふたたび



──マガジンハウスは常駐フリーランスとして?

清水●はい。でも、大きな会社だと基本的に歯車なんですよ。文字組んでいるだけだったり、ちり紙交換に近い心地よさがあって。そういうところにうまく収まって、結局4年いたのですが……デザイナーとDTPオペレータの中間ですね。あんまりクリエイティブな仕事内容ではなかった。

──赤字を直してくれ、とか。

清水●そうですね。私がいたのは『ターザン』だったのですが、ああいう雑誌って速報性重視でもないし、内容が大きく変わったりとかそういうことはあまりない。だから、結構落ち着いて過ごして、その合間に他のパッケージとかの仕事して。

──転機が訪れたのは?

清水●その間に結婚したり離婚したり、また結婚したり(笑)紆余曲折がありつつ、マガジンハウスを辞める1年前かな? 並行してHTML書きの仕事や小規模なサイトのデザインもやっていたのですが、何を間違えたのか、私にFlashの仕事を発注してきた人がいたんです。Action Scriptができるとか、間違った情報が伝わっていたんですね。私もよせばいいのに「できますよ」と言ってしまった。

──どうしたんですか?

清水●受けてから「覚えなければ」と一所懸命、勉強してやりました。いま思い返すとひどい行動だったのですが、そこそこネバったのが利いたのか、結構評価を受けて「東京インタラクティブアドアワード」に入賞してしまった。こんなもので入賞するのか……という満足感がありつつ、そこに私のクレジットが載ってなかったんです。

──基本的に匿名性が高いですよね。

清水●代理店の見栄なのか都合なのか、わかりませんが……。でも、それで「Flashができる人」という認識が生まれて。ただ、そのクレジットが載っていないことから、また負のエネルギーが生まれて(笑)。


PRIUS CHANNEL(2008年)PRIUS CHANNEL(2008年)

UNIQLO MARCH(2008年)UNIQLO MARCH(2008年)

清水幹太さんの仕事より
上段:
PRIUS CHANNEL(2008年)
トヨタのハイブリッドカー「プリウス」の特設サイト。お笑いコンビ=スピードワゴンが故郷・愛知県渥美半島をドライブする動画に、閲覧者のクチコミが書き込めるという双方向性がコンセプト

下段:
UNIQLO MARCH(2008年)http://www.uniqlo.com/march/
ユニクロのWebプロモーション・サイト。希少な高性能ワイドカメラ「RED ONE」を駆使し、50メートルにおよぶ長尺映像を見ることができる。サウンドはコーネリアスが担当



29歳で「会社員」デビュー



──以来、本格的にWeb業界に興味を持ち始めたのですか?

清水●そうです。すると同年代の人たちが相当活躍されている。しかも自分がチマチマ作っているものより、よっぽど激しいことをやっている。非常にジェラシーを感じて、眠れない日々が続いたんです。嫁が心配するほど眠れなくて、もうどうしようもないから「こういう業界に就職してみよう」と思いまして。

──Webをやりたかったのが遠回りしながら、そこに行き着いたわけですね。

清水●はい。でも、当時はFlashで映像を再生できるってことすら知らなかった。それぐらいインタラクティブ的なことは拾えてなかった。

──そして現在、在籍されている「イメージソース」に応募を?

清水●他の会社も受けたのですが、年齢が30歳に近かったのもあって落ちたんです。これはダメかな……と思っていたところ「ノングリッド」(現在はイメージソースのグループ会社)の応募要項に「体力がある人」と書いてあって。で、応募したら社長が「なんか面白そうだから」という理由で採ってくれたんです。

──そこで初めて「会社員」という形になったんですね。

清水●そうです。それまで、社会人として組織の中であまり仕事はしていなかった。でもその障壁はあまりなくて、私の場合──そのとき29歳だったのですが、かなり背水の陣なんですよ。やっと「やりたいことを見つけられた」と。一方で、業界には同世代ですごく有名な方々がいらっしゃる。自分は立ち後れているな、と。

──焦りも?

清水●人の5倍ぐらい働かないと追いつけないという思いがありました。東京出身ですが「ここで頑張らないと故郷に帰れないぞ」というイメージで入社したところがある。最初の給料も「18万円でいいです」と言って入ったんです。でも、本当にそのくらいだったときはビックリした(笑)。

──フリーランスの頃はもっと貰っていたわけですもんね。

清水●ええ。まあ、とにかく背水の陣で入社して、社会人になったというよりも「やらなくちゃならない」と思ったわけです。


次週、第4話は「そして現在」を掲載します。

(取材・文:増渕俊之 写真:FuGee)


清水幹太さん

[プロフィール]

しみず・かんた●1976年東京都生まれ。東京大学在学中よりWeb制作会社、デザイン事務所での勤務を経て、大学中退後に独立。雑誌/書籍などのグラフィックデザイナーとして活動後、2005年「株式会社イメージソース」に入社。現在、同社のディレクター/デザインエンジニアとして勤務中。

http://www.imgsrc.co.jp




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