第2話 真剣勝負の「場」作り | デザインってオモシロイ -MdN Design Interactive-
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様々なジャンルで活躍するデザイナーの来歴をたどるシリーズ。今回は株式会社スロウの原大輔さんを取材し、アートディレクターとして活躍する今日までの足跡をたどりま


第2話 真剣勝負の「場」作り



原大輔さん

渋谷区大山町のオフィスにて、原大輔さん


グラフィックデザイナーに転職



──インテリアの仕事はどれくらい?

原●2年かな。インテリアデザインって、先輩にも言われましたが「10年で一人前」だと。でも、いま考えれば当たり前のことですが「もっと早くアウトプットしたい」と思うようになった。90年代前半、Macがものすごく盛り上がっていた時代でしたから、これほどビビッとくるものはないと思って転職を考えたんです。だけど、グラフィックの授業はちょっとしか受けていないし、専門学校も卒業していない。その頃、年齢も24〜5歳になっていたし……。

──転職先はどのように?

原●グラフィックデザイン事務所の門を叩きました。専門誌を見漁って、電話をかけまくったのですが、10件ぐらい全部断られましたね。年齢と経験なしが理由。じゃあインテリアをずっとやってればいいじゃない……と散々言われながら、バンタンのキャリアスクールに入学を申し込もうとしたんです。そうしたら、たまたまひとつの事務所に引っかかって。それがグラフィックデザインの始まりですね。

──その事務所は、どのような業態だったのですか?

原●CDジャケットを中心にやってました。でも僕は、もう25歳だったので「2年で辞める」と決めていたんです。2年間で学べるもの全部学んで、辞めて独立したいと無謀なことを考えてて。で、試用期間3ヶ月と言われていたのですが、1ヶ月で終わらせてもらって。1年目を過ぎた頃は、アートディレクターの社長の後ろで仕事してました。あと、洋書が好きだったから『Face』とか『i-D』『Dazed & Confuse』……ああいう雑誌をガンガン買ってもらって「こういうのがあるんですよ」「こういうのをやってみたいんですよ」とか話して。

──で、2年経って?

原●27歳のときに独立です。もう自分で仕事をとってやりたいと思ったので、友達の編集者とかに声をかけて「仕事くれないか」と。でも、エデイトリアルなんてやったこともない。当時はまだ版下が多かったから、とにかくDTPと半々でやらせてもらって。事務所は恵比寿でした。

──独立直後は一人で?

原●そうです。最初の1年はまったく食えなくて、月10万以上いけばよかった。だから親から仕送りですよ(苦笑)。そこに友達も転がり込んで来て、仲間で楽しければいいかなって感じだったのですが「自分のデザインとは?」と葛藤してたんです。そうやってフラフラしているときに友人のカメラマンに怒られ「このままじゃダメだ」と。で、みんなで一緒に何かやろうよという話になって、代々木に移ったんです。


BICYCLE NAVIBICYCLE NAVI

原大輔さんの仕事より
右/左ともに『BICYCLE NAVI』(二玄社



訪れた転機はインテリア雑誌



──他に何人で?

原●カメラマンとそのアシスタント、僕とライターが2〜3人。部室みたいなものですよね。「ピンでやるよるタバでやるほうが強いよ」って。

──それが現在の原点になりますか?

原●そうですね。もう、それが一番の原点です。いまでもその仲間とは仕事しますし、一番真剣な話をするのは奴らしかいない。そこで「スチーム」という屋号をつけて、なにかやろうと。各々仕事はしてて独立採算制なので。家賃払って事務所をシェアするだけでしたが、代々木に移った途端、仕事が入り始めたんです。

──よかったですね。

原●でも、ぶっちゃけいろんなことやりましたよ。『Boom』とかのファッション雑誌、ベネッセコーポレーションの小冊子とか……あとは清春さん。彼がSADSをやっていたときに知り合いから回ってきてコンサートパンフを作ったんです。カンプを作ってから本人に見せて、ほとんど素人に近い人間に任せてもらえて。それで1本100万円もらったんですよ。それまで1本100万円もらうことなんてなかったから「これはスゴイ」と。

──その他は?

原●アダルトDVDのパッケージもやりました。月10本ずつ。これは知り合いに見せられないなって、アシスタントに「お客さんが来たら画面消せ」って(笑)。でも研究するのが好きなので、そのとき、いろんなアダルト系のパッケージを見たんです。どういう色が好まれているのか、とか。

──トレンドありますからね。

原●どういう写真の扱いがいいか、とか。あと、なんであんなに肌がピンク色になるのか、そこで初めて印刷を意識したり。あれはCMYKのM版を蛍光ピンクに変えるんですよ。肌色が桃色になって、ものすごく色っぽくなる。ああ、なるほどって。そういうことも学んで、結局半年ぐらいで辞めましたけど。食えていましたが、このままじゃヤバイなって思ってました。

──その後、なにか転機が?

原●いま『トランジット』という旅雑誌を作っている加藤直徳くんがまだ編集アシスタントの頃、白夜書房から「インテリアの本を出したい」と話しに来て。当時『ポパイ』とかが部屋ムックを出していた頃で「そういうものをやりたい」と。僕ら、彼を強引に引きずり込んで「そんな一発モノやるよりも定期刊を作ろう」と誘ったんです。当時『Wall Paper』が好きだったから、ああいう感じで衣食住が充実した表現をしようよ、と。それが発端になって『ROOM+(ルームプラス)』という雑誌を作ったんですね。版元の都合もあって結局5号で終わったのですが、みんなで初めての共同作業でした。あれはひとつの成果でしたね。その後「スチーム」が大きくなり、2000年に富ヶ谷に移ったんです。その後有限会社にして、編プロ機能とデザイン機能と写真機能に分けて。たまに喧嘩もしましたけど、ものすごく真剣勝負の場だったと思います。


次週、第3話は「フリー集団からの脱皮」を掲載します。

(取材・文:増渕俊之 写真:FuGee)


原大輔さん

[プロフィール]

はら・だいすけ●1971年長崎県生まれ。明治大学商学部卒業後、インテリアデザイン事務所に就職。その後、デザイン事務所勤務を経て独立。フリーランス集団「スチーム」に参加した後、自身が主宰する「スロウ」設立。現在、エディトリアルデザインを中心に活動中。http://www.s-low.com




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