
様々なジャンルで活躍するデザイナーの来歴をたどるシリーズ。今回は株式会社スロウの原大輔さんを取材し、アートディレクターとして活躍する今日までの足跡をたどります。
第3話 フリー集団からの脱皮

渋谷区大山町のオフィスにて、原大輔さん
身体で覚えていったデザイン
──「スチーム」は何人ぐらい?
原●最大12〜3人いました。バイトしていたマガジンハウス繋がりで『ポパイ』のライター陣も流れてきて、情報交換の場になっていたんです。だけど、そこでカメラとは? 編集とは?……と、多くのことを学びました。みんな、いまは別々に独立しましたが、写真に対する姿勢やら仕上がり、編集なら構成の仕方、言い回しとか、ものすごく勉強になった。僕はまったくそういうことを知らなかったので。でも、昔から好きで雑誌を見ていたから、それで編集というものを学んだところもあります。
──適役じゃないですか。
原●その上で自分のデザインも勉強してましたね。『Asayan』の最後の4号をやらせてもらったり、ちょこちょこやりながら、完全にエディトリアルです。で「スチーム」も設立して5年ぐらい経って「そろそろ別々でやろうか」と。そこで2004年、自分の「スロウ」を立ち上げたんです。最初はフリーランスの事務所だったのですが。
──仕事は順調に?
原●当時は『フォルム』というスポーツ系の雑誌をやってました。その後、誌名が『スポーツライン』に変わって。この頃はもう、ガッツリADとしてです。
──丸ごと1冊ですか?
原●ええ。僕は「スロウ」を立ち上げる2年前から、ページ受けは辞めたんです。丸ごと1冊じゃないとやらないよって。やっぱり、パッケージとしてちゃんと作りたいじゃないですか。ちなみに、この頃はIllustratorで作っていたんです。手間もかかるし、データ量も膨大になる。でも、イラレで組むっていうのは版下感覚がある。僕、手引きもやっていたので、そのほうがやりやすいんです。でも、エディトリアルをまったく知らないで入っていったでしょ? ちょうど『Asayan』で、ぶんか社に出入りするまで版下の指定の仕方もわからなくて……。
──ハハハ。
原●人から学んだことがないですから。CDの指定はわかるんだけど、文字組の指定がわからない。で、これはまいったと思って、ぶんか社のコピー機の下にドッサリ他誌の指定紙があったのを拝借して勉強してました(笑)。
原●最大12〜3人いました。バイトしていたマガジンハウス繋がりで『ポパイ』のライター陣も流れてきて、情報交換の場になっていたんです。だけど、そこでカメラとは? 編集とは?……と、多くのことを学びました。みんな、いまは別々に独立しましたが、写真に対する姿勢やら仕上がり、編集なら構成の仕方、言い回しとか、ものすごく勉強になった。僕はまったくそういうことを知らなかったので。でも、昔から好きで雑誌を見ていたから、それで編集というものを学んだところもあります。
──適役じゃないですか。
原●その上で自分のデザインも勉強してましたね。『Asayan』の最後の4号をやらせてもらったり、ちょこちょこやりながら、完全にエディトリアルです。で「スチーム」も設立して5年ぐらい経って「そろそろ別々でやろうか」と。そこで2004年、自分の「スロウ」を立ち上げたんです。最初はフリーランスの事務所だったのですが。
──仕事は順調に?
原●当時は『フォルム』というスポーツ系の雑誌をやってました。その後、誌名が『スポーツライン』に変わって。この頃はもう、ガッツリADとしてです。
──丸ごと1冊ですか?
原●ええ。僕は「スロウ」を立ち上げる2年前から、ページ受けは辞めたんです。丸ごと1冊じゃないとやらないよって。やっぱり、パッケージとしてちゃんと作りたいじゃないですか。ちなみに、この頃はIllustratorで作っていたんです。手間もかかるし、データ量も膨大になる。でも、イラレで組むっていうのは版下感覚がある。僕、手引きもやっていたので、そのほうがやりやすいんです。でも、エディトリアルをまったく知らないで入っていったでしょ? ちょうど『Asayan』で、ぶんか社に出入りするまで版下の指定の仕方もわからなくて……。
──ハハハ。
原●人から学んだことがないですから。CDの指定はわかるんだけど、文字組の指定がわからない。で、これはまいったと思って、ぶんか社のコピー機の下にドッサリ他誌の指定紙があったのを拝借して勉強してました(笑)。


原大輔さんの仕事より
左/『DESIGN=SOCIAL』柳本浩市(ワークスコーポレーション)
右/『本との話』(ワークスコーポレーション)
左/『DESIGN=SOCIAL』柳本浩市(ワークスコーポレーション)
右/『本との話』(ワークスコーポレーション)
デザイナーからADへの葛藤
──後付け、後付けで来ているんですね。
原●そうです(笑)。自分で調べて、全部独学。まったく教わったことがないけど、漠然と「この世界で食っていきたい」と。それで続けていられたんだと思います。結構、凸凹なデザイン人生で、身体で覚えていくほうでしたね。
──「スロウ」を立ち上げた頃、どれぐらい案件抱えていました?
原●レギュラーは『フォルム』とムックなど、月3冊ぐらいかな。
──営業は?
原●まったくやらなかった。
──先ほどのような仲間からの伝手ばかりで?
原●繋がりですね。営業したほうがいいかな……と思いつつも、なんか仕事が来ちゃったりもしてたし、よく「営業すると自分を下げるよ」と言われていたから、なるべく今やっているものを評価してもらったほうがいいな、と。ま、突っ張っていた部分もあると思いますが。
──最初「スロウ」は何人体制で?
原●僕一人でした。富ヶ谷の「スチーム」の下の部屋が空いてて、そこを借りて立ち上げたのですが、アシスタントみんな辞めちゃって……。その頃の僕、すごく大仰な奴だったんですよ。編集者にも罵声飛ばすぐらいだった。鍛えられてましたからね。「こんなラフでできるわけねーじゃん!」って、構成からラフ書きまで口はさんでいた。アシスタントもみんな離れて、さすがに「これはまずいな」と。で、元アシスタントが「SOUP DESIGN」にいて、そろそろ辞めるの?って訊いたら「いやー、あそこ居心地いいんですよね」と言うんです。そのとき、ふと「居心地いい環境が会社を育てるのか」と思って。そこからシフトを変えました。
──現在は?
原●ちょこちょこ人が増えていって、いま僕を含めて9名。
──居心地よくなったんでしょうね(笑)。
原●うん(笑)。それでもいろいろ葛藤はありますが、みんながやれればいいか……と。葛藤というのは「自分のデザインとは?」って、ものすごくこだわっていたんです。未だにこだわっているとスタッフに怒られるんだけど。なるべくそれをなくそう、と。
──任せるところは任せる、と。
原●ええ。そのきっかけが富ヶ谷から青山に移る最後。企画出しの仕事、1ヶ月ぐらい延ばしたことがあったんです。自分でもデザインして、ディレクションもやって、打ち合わせもやって……手一杯で時間がない。「これはマズい、俺が潰れちゃう」と思いましたね。そのとき、堀内誠一さんの本を読んだんです。彼が『ポパイ』の後任だった新谷雅弘さんに「ADはデザインするものじゃない。もっと他にやらなくちゃならないことが一杯ある」と言う話があって。そこで「ああ、なるほど」と。僕は師匠がいないので、そういうのとがわからなかったんです。で、いろんな人の話を読んだり聞きながら「なるほど、任せていかないと自分が先のことができない」と思った。それができず「自分のデザインがどうのこうの」とこだわっていると自滅してしまう。
原●そうです(笑)。自分で調べて、全部独学。まったく教わったことがないけど、漠然と「この世界で食っていきたい」と。それで続けていられたんだと思います。結構、凸凹なデザイン人生で、身体で覚えていくほうでしたね。
──「スロウ」を立ち上げた頃、どれぐらい案件抱えていました?
原●レギュラーは『フォルム』とムックなど、月3冊ぐらいかな。
──営業は?
原●まったくやらなかった。
──先ほどのような仲間からの伝手ばかりで?
原●繋がりですね。営業したほうがいいかな……と思いつつも、なんか仕事が来ちゃったりもしてたし、よく「営業すると自分を下げるよ」と言われていたから、なるべく今やっているものを評価してもらったほうがいいな、と。ま、突っ張っていた部分もあると思いますが。
──最初「スロウ」は何人体制で?
原●僕一人でした。富ヶ谷の「スチーム」の下の部屋が空いてて、そこを借りて立ち上げたのですが、アシスタントみんな辞めちゃって……。その頃の僕、すごく大仰な奴だったんですよ。編集者にも罵声飛ばすぐらいだった。鍛えられてましたからね。「こんなラフでできるわけねーじゃん!」って、構成からラフ書きまで口はさんでいた。アシスタントもみんな離れて、さすがに「これはまずいな」と。で、元アシスタントが「SOUP DESIGN」にいて、そろそろ辞めるの?って訊いたら「いやー、あそこ居心地いいんですよね」と言うんです。そのとき、ふと「居心地いい環境が会社を育てるのか」と思って。そこからシフトを変えました。
──現在は?
原●ちょこちょこ人が増えていって、いま僕を含めて9名。
──居心地よくなったんでしょうね(笑)。
原●うん(笑)。それでもいろいろ葛藤はありますが、みんながやれればいいか……と。葛藤というのは「自分のデザインとは?」って、ものすごくこだわっていたんです。未だにこだわっているとスタッフに怒られるんだけど。なるべくそれをなくそう、と。
──任せるところは任せる、と。
原●ええ。そのきっかけが富ヶ谷から青山に移る最後。企画出しの仕事、1ヶ月ぐらい延ばしたことがあったんです。自分でもデザインして、ディレクションもやって、打ち合わせもやって……手一杯で時間がない。「これはマズい、俺が潰れちゃう」と思いましたね。そのとき、堀内誠一さんの本を読んだんです。彼が『ポパイ』の後任だった新谷雅弘さんに「ADはデザインするものじゃない。もっと他にやらなくちゃならないことが一杯ある」と言う話があって。そこで「ああ、なるほど」と。僕は師匠がいないので、そういうのとがわからなかったんです。で、いろんな人の話を読んだり聞きながら「なるほど、任せていかないと自分が先のことができない」と思った。それができず「自分のデザインがどうのこうの」とこだわっていると自滅してしまう。
次週、第3話は「ADとしての在り方について」を掲載します。
(取材・文:増渕俊之 写真:FuGee)
(取材・文:増渕俊之 写真:FuGee)
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[プロフィール] はら・だいすけ●1971年長崎県生まれ。明治大学商学部卒業後、インテリアデザイン事務所に就職。その後、デザイン事務所勤務を経て独立。フリーランス集団「スチーム」に参加した後、自身が主宰する「スロウ」設立。現在、エディトリアルデザインを中心に活動中。http://www.s-low.com |




