様々なジャンルで活躍するデザイナーの来歴をたどるシリーズ。今回はペッパーショップの古賀学さんを取材し、アートディレクターとして活躍する今日までの足跡をたどります。
第2話 なし崩し的にデザイナーへ
横浜市日吉のオフィスにて、古賀学さん
──専門学校卒業後の就職については考えてました?
古賀●就職以前に2年生から全然学校に行かなかったので……3年制の学校だったのですが「このままで進級できない」と言われたんです。3年制の学校に4年行くのはもったいない。もともと浪人するのがもったいなくてタウン誌に就職したぐらいだから、じゃあ3年制の学校を2年で切り上げて辞めちゃっても「なんとかなるかな」と。
──思い切りましたね。食べられました?
古賀●最初はだましだまし、なんとかなったんですけど……ひとつ考えたのはフリーペーパーを売り物にすればという子供みたいな発想で『PEPPER SHOP』を有料版の雑誌にしたんです。でもボリュームが増した分、大変にもなるし、当時DTPで丸ごと一冊、貫通して作っているメディアってあまりなくて。でも、それが逆に助け舟になった。雑誌を見た人からデザインの発注が来るようになったんです。
──どのような仕事ですか?
古賀●時代が94〜5年で、Macデザイン・ブームがドンッと来るじゃないですか。そこで、デジタローグさんとかがやっているCD-ROMとかに混ぜてもらったり。一方、もうひとつ全然違うムーブメントでジャパニメーション・ブームが起きた。ちょうど『新世紀エヴァンゲリオン』や、その前の年に『マクロスプラス』があって、僕は『攻殻機動隊』の仕事に関わらせてもらったんです。あと『PEPPER SHOP』に執筆していただいた、後に『BT/美術手帖』の編集長になる楠見清さんが、美術出版社で『コミッカーズ』という漫画テクニカル雑誌を作るということになった。その本の中のサブカル・パートのデザインをやらせてもらったり。
──その時点、編集の仕事はまったくしなかったのですか?
古賀●混在してましたね。例えば『コミッカーズ』は雑誌内雑誌という扱いで、そこは治外法権的に編集もやって。他のページのレイアウトもサブカル系はやるとか。あと模型雑誌の『モデルグラフィックス』も情報コーナーを手がけたり。
──ほんと子供の頃の趣味が(笑)
古賀●そうですね。自分が読んでいて尊敬していた雑誌と仕事するという。
──その後『コミック・キュー』ですか?
古賀●ですね。最初、岡田斗司夫さんとインタビューをきっかけに知り合いになり、彼の著書『オタク学入門』の中の解説イラストを丸ごと受けたんです。その後、岡田さんの『世紀の大怪獣!!オカダ—岡田斗司夫のお蔵出し』という本がイーストプレスから出て、その装幀をやらせていただいた。担当者は違うのですが、江口寿史さんが編集長を勤める『コミック・キュー』が出て、当初ADだったフラミンゴスタジオの後釜ということで回ってきたんですね。
──じゃあ、なし崩し的にデザイナーになっていった、と。
古賀●エディトリアルに関してはそうですね。タウン雑誌と豪華な講師の専門学校が合体したらフリーペーパーになっちゃった。で、フリーペーパーを作っていたら学校に行けなくなって、雑誌にしたらデザインの仕事が来たという具合です。
古賀●就職以前に2年生から全然学校に行かなかったので……3年制の学校だったのですが「このままで進級できない」と言われたんです。3年制の学校に4年行くのはもったいない。もともと浪人するのがもったいなくてタウン誌に就職したぐらいだから、じゃあ3年制の学校を2年で切り上げて辞めちゃっても「なんとかなるかな」と。
──思い切りましたね。食べられました?
古賀●最初はだましだまし、なんとかなったんですけど……ひとつ考えたのはフリーペーパーを売り物にすればという子供みたいな発想で『PEPPER SHOP』を有料版の雑誌にしたんです。でもボリュームが増した分、大変にもなるし、当時DTPで丸ごと一冊、貫通して作っているメディアってあまりなくて。でも、それが逆に助け舟になった。雑誌を見た人からデザインの発注が来るようになったんです。
──どのような仕事ですか?
古賀●時代が94〜5年で、Macデザイン・ブームがドンッと来るじゃないですか。そこで、デジタローグさんとかがやっているCD-ROMとかに混ぜてもらったり。一方、もうひとつ全然違うムーブメントでジャパニメーション・ブームが起きた。ちょうど『新世紀エヴァンゲリオン』や、その前の年に『マクロスプラス』があって、僕は『攻殻機動隊』の仕事に関わらせてもらったんです。あと『PEPPER SHOP』に執筆していただいた、後に『BT/美術手帖』の編集長になる楠見清さんが、美術出版社で『コミッカーズ』という漫画テクニカル雑誌を作るということになった。その本の中のサブカル・パートのデザインをやらせてもらったり。
──その時点、編集の仕事はまったくしなかったのですか?
古賀●混在してましたね。例えば『コミッカーズ』は雑誌内雑誌という扱いで、そこは治外法権的に編集もやって。他のページのレイアウトもサブカル系はやるとか。あと模型雑誌の『モデルグラフィックス』も情報コーナーを手がけたり。
──ほんと子供の頃の趣味が(笑)
古賀●そうですね。自分が読んでいて尊敬していた雑誌と仕事するという。
──その後『コミック・キュー』ですか?
古賀●ですね。最初、岡田斗司夫さんとインタビューをきっかけに知り合いになり、彼の著書『オタク学入門』の中の解説イラストを丸ごと受けたんです。その後、岡田さんの『世紀の大怪獣!!オカダ—岡田斗司夫のお蔵出し』という本がイーストプレスから出て、その装幀をやらせていただいた。担当者は違うのですが、江口寿史さんが編集長を勤める『コミック・キュー』が出て、当初ADだったフラミンゴスタジオの後釜ということで回ってきたんですね。
──じゃあ、なし崩し的にデザイナーになっていった、と。
古賀●エディトリアルに関してはそうですね。タウン雑誌と豪華な講師の専門学校が合体したらフリーペーパーになっちゃった。で、フリーペーパーを作っていたら学校に行けなくなって、雑誌にしたらデザインの仕事が来たという具合です。
古賀さんの仕事より
左:『COMIC CUE』vol.6/手塚治虫リミックス特集号(イースト・プレス/1999年5月)
右:『G2O』vol.1/ガンダム・トリビュートマガジン(アスキームック/1998年9月)
次回、第3話は「キャラクター作りから映像の世界へ」を掲載します。
(取材・文:増渕俊之 写真:FuGee)
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[プロフィール] こが・まなぶ●1972年長崎県生まれ。タウン誌の発行会社勤務を経て、創形美術学校に入学。在籍中の93年からフリーペーパー『PEPPER SHOP』を制作、中退後にフリーランスのデザイナーとして活動。村上隆氏の作品・宣伝デザインワークの他、雑誌など各種デザインを勤める。現在、アートプロジェクト「&a water/アンダーウォーター」を展開中。 |