第2話 会社員は向いていない | デザインってオモシロイ -MdN Design Interactive-
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様々なジャンルで活躍するデザイナーの来歴をたどるシリーズ。今回は秋田和徳さんを取材し、アートディレクターとして活躍する今日までの足跡をたどりま


第2話 会社員は向いていない



千代田区神田神保町のオフィスにて、秋田和徳さん

千代田区神田神保町のオフィスにて、秋田和徳さん

──学生時代、どんなレコード・ジャケットが好きでした?

秋田●印象的なのはドアーズのセカンドですね。あとはブリティッシュ・ロック全般。60年代後半のサイケなものから、その後のプログレ、グラム、パンク/ニュー・ウェイヴと。暗さの中にちょっとしたユーモアを感じるようなものが多いんですよ。

──アルバイトとかしてました?

秋田●学校の課題が多くてほとんどしてなかったです。だからレコードは安い中古盤を食費を削って買ってました。

──大学の勉強でいま役立っていることは?

秋田●ないというと語弊があるけれど、はっきりと言えるものではないですね。自分の指向性、方向性が見えてきたのは、実を言うと30歳を過ぎてからなんですよ。自分が何に向いているとか、なかなか見つからないまま来てしまって。

──そろそろ卒業後のことを考える頃は?

秋田●就職活動もまったく熱心ではなくて、大学に来た求人を2つほど受けて。

──大阪で?

秋田●いや、東京です。ただ、強い意志があったとかではなくて、なんとなくの選択。東京に夢と希望をもって……なんていう気持ちは皆無でしたね。

──就職先は?

秋田●デザイン会社です。結構な倍率をなぜか受かって。広告主体の会社で、名前の一部に「アド」って付くんですけど、その頃も僕「アド」という言葉の意味を知らなくて……そのぐらい無知もいいところだったんですよ。

──規模はどれくらい?

秋田●2〜300人かな。コピーライター、イラストレーター、カメラマン、営業もデザイナーも一緒になっている会社で。

──最初の仕事は?

秋田●チラシを入れる封筒だったかな。いくつかセクションがあって、そのひとつに配属されたのですが、それでもまだアートディレクターの意味も知らずに(笑)。でも、そこで基本はすべて学びましたね。写植の指定、版下の作り方、アタリの取り方……

──やはり最初はアタリから?

秋田●いや、いきなり4色指定をやらされたのを覚えてます。でも、指定の仕方がわからなくて、まだアナログの時代でしたから色鉛筆で塗って、それに近い色をカラーチャートで探したんです。すごく原始的な方法ですね。で、それを入稿時に勝手に色を変えちゃったんですよ。気分で(笑)。こっちの色の方がいいと思って。その重大性もわかってなかった。

──ああ、一度クライアントに通ったものを?

秋田●ええ。カンプと違うものを入稿して、その重大性も知らなかった。あとで怒られましたけどね(笑)。

──会社員時代、印象深い思い出あります?

秋田●思い出というより、ハッキリとわかったのが自分の興味のないモノの広告はやりたくないってことですね。やっていて辛い(笑)。広告デザインというのは、興味がないだけならまだしも、好きではないものさえも、その商売の片棒をかつぐわけじゃないですか。それが意に反するものだったら……経験はないですが、例えば「武器を持て」みたいな広告があった場合、そういう仕事は絶対やりたくないですから。でも、会社員だったら、それをやらなくてはならない。

──じゃあ、会社を辞めた理由もそういうところに?

秋田●いや、実際にそんな話があったわけではないですが……まあ会社員自体、向いてないんですよね。だから3年、もたなかった。

──辞めてどうしようと?

秋田●アテもなかったのですが、まったく考えがなかったわけではなくて、その会社にいる頃、ライブへ行った時にもらったチラシに「デザイナー募集」という文章が載っていたんです。好きだったオート・モッドのジュネさんの新しいバンドなんですけど、そこに電話して……それが最初で最後の売り込みでしたね。好きなバンドでしたから、大学時代に勝手にジャケットやポスターを作品にしてたんです。だから会社員時代の仕事はひとつも見せなかった。ロックのかけらもなくて(笑)。

──その後は?

秋田●で、ジュネさんが関わっていた「インナー・ディレクツ」という音楽事務所を紹介していただいて。まあ、そこになんとなく所属できることになったんです。ようは音楽の仕事がしたくて、そこの雑誌広告でさえ嬉しい。当時の『フールズメイト』とか『宝島』とか、自分が読んでいた雑誌に入る広告が作れると。そこの仕事をこなせば、その他の仕事も「なにしてもいいよ」というユルい環境だったんです。でも、実際フリーの仕事はそんなになかったから、そこにいなかったらとてもじゃないけど食べていけなかった。


メリー「M.E.R.R.Y.」CD(2007年)

メリー「Blind Romance/最果てのパレード」CD(2007年)メリー「閉ざされた楽園」CD(2008年)
SADS『the rose god gave me』CD(2001年)

清春『影踏み』DVD(2004年)
清春『shade ~saw the light and shade~』CD(2008年)清春『MEDLEY』CD(2009年)

秋田さんの仕事より

上段/メリー「M.E.R.R.Y.」CD(2007年)
中段左/メリー「Blind Romance/最果てのパレード」CD(2007年)
中段中/メリー「閉ざされた楽園」CD(2008年)
中段右/SADS『the rose god gave me』CD(2001年)
下段左/清春『影踏み』DVD(2004年)
下段中/清春『shade ~saw the light and shade~』CD(2008年)
下段右/清春『MEDLEY』CD(2009年)


「これまで一番数多くジャケットを手がけたアーティストの清春氏と、次に多いメリーのパッケージです。上段は時間も手間もかけた自信作だったのですが、大した反応もなく(笑)。イラストをお願いした宇野亜喜良さんには『レッド・ツェッペリンみたいだねぇ』とのお言葉を頂きました。
中段中中段右は僕なりのグラム・ロックに対するオマージュです。メリーの方は、オリジナルの電話ボックスを考えるところから始まり、そのデザイン画を描いて、それを元にわざわざ作って頂きました。グラムといえば赤い電話ボックス……というイージーな発想からなのですが。メリーのジャケットは、ほぼすべてがラフ画の再現に努めていて、アート・ディレクションは徹底してやってます。SADSの方は、ラフ画を再現したら思いのほかグラムになってしまったという感じです。これはもうロキシー・ミュージックなんかのイメージですね。それにキッスのような、あえてわざとらしいロゴを配することによって、より俗悪に、そしてダークにした21世紀のグラム。下段中は、まぎれもなくゴスですね。ついうっかりとゴスっぽくなることは間々あるのですが、これはもうはなはだ(笑)。音との関連性でいえば、ちょっと稀薄かもしれませんが……またこの作品は、畏れ多くも本人から帯コピーも依頼されました。そういうデザイン以外のことって、たまにあると楽しいですね


次回、第3話は「独立、暗黒の90年代」を掲載します。

(取材・文:増渕俊之 写真:FuGee)


秋田和徳さん

[プロフィール]

あきた・かずのり●1965年大阪府生まれ。大阪芸術大学デザイン学科卒業後、広告デザイン会社勤務等を経て、94年に独立。音楽ソフトのパッケージを中心に、広告、雑誌、単行本などを手がけている




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