第3話 独立、暗黒の90年代 | デザインってオモシロイ -MdN Design Interactive-
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様々なジャンルで活躍するデザイナーの来歴をたどるシリーズ。今回は秋田和徳さんを取材し、アートディレクターとして活躍する今日までの足跡をたどりま


第3話 独立、暗黒の90年代



千代田区神田神保町のオフィスにて、秋田和徳さん

千代田区神田神保町のオフィスにて、秋田和徳さん

──80年代末ですよね。バンド・ブームというかインディーズ・ブームの頃。

秋田●ですね。ちょうど20代はそこに在籍しつつ、気分的には楽になりました。そこから仕事が広がったというか、徐々に自分の仕事も増えて。でも、インナー・ディレクツの方向性が時代の波とともに変わってきたんです。当たり前ですけど。元々、オート・モッドやサディ・サッズが好きだったから入ったのだけど、全然違う地平に向き始めて。で、そろそろかな……と。

──独立ですか?

秋田●このままでどうなるんだろうという危機感もあったし、なんとなく、ちょっとぬるま湯のような状況から脱しないと、そのままズルズルといきそうな予感がしたんですね。

──アテはあったんですか?

秋田●いや、確固たるアテがあったわけではないので、最初はずっと自宅でやってました。で、雑誌のレイアウトや単行本の装幀をやってたら、それがきっかけで黒夢やストロベリー・フィールズの仕事を紹介されたり。編集者の斡旋が大きかったです。

──そこから各バンドのオフィシャル仕事も増えて?

秋田●ええ。でも、それが常時というわけではないですから。CDジャケットの仕事なんてそんなにはなくて、地道にライナーノーツとかオビといった洋楽CDの付属物とその広告はほとんど毎月やってましたし、来日公演のポスターや新聞広告なんかもありましたね。キッスやルー・リード、デヴィッド・シルヴィアン……。

──DTPへの移行は?

秋田●インナー・ディレクツに在籍していた90年代初頭からですね。最初の頃は印画紙出力して、それを版下にしてるような使い方でした。ひとりなんで、トラブルがあると頼る人もいなくてお手上げでした。元々機械音痴だし、ましてや愛着もないんで、いまだにソフトのバージョンアップとかありがた迷惑というか(笑)。

──その後、転機は?

秋田●99年くらいかな。90年代は僕にとって暗黒でしたね。仕事は順調にあったんですが……いまもずっと暗黒なのかな(笑)。

──悶々としていたんですか?

秋田●なんというか、自分がまったくお呼びじゃない、っていう感覚でしたね。居場所がないというか。見たいテレビ番組もなかったし(笑)、世間の流行に背を向けてひっそりと……。手応えのある仕事ができても、それが次に繋がらないんです。自分が満足するだけで。その頃、人伝手に聞いたんですけど、僕の手掛けたものを参考に、というか下敷きに「こんな感じで」っていう依頼のもと、デザインされたCDジャケットが実際にあったんですよ。本の装幀でもまったく同じようなことがあったり。結局はデザインの仕事も身近な人間関係か、あるいは大きな組織の間だけで回っていくのか、っていう無情感。だから、仕事が仕事を呼んで、ある日突然、見ず知らずの人から連絡が入るとか、なんかそういう話ってよく聞きますけど……。

──懸賞が当たるみたいな?

秋田●そうなんですかね。みんな、そうかと思って。僕にとってはおとぎ話の世界ですね。かといって、僕の場合、どうにもバイタリティ不足なんで、誰か親切な人が持ちかけてくれる仕事をただ待ってるだけなんですけど(笑)。まあそういう性格な上に、陽の当たらないものの方が圧倒的に好きなもんだから、そりゃあ仕事自体見てもらえないですよね。あるいは、別段デザインに魅力を感じてもらえなかっただけか。

──でも一方で、雑誌『ストレンジ・デイズ』のデザインは10年以上続いてますよね。

秋田●ああ、それは大きかったです。きっかけは他の音楽雑誌の仕事をしていた頃、その担当の方から編集長の岩本晃市郎さんを紹介されて。著書や以前の雑誌も読んでいたし、取り上げるアーティストが僕の好みに合致していたので、迷うことなく快諾しました。

──チャンスでしたね。

秋田●岩本さんに作品を見せた記憶がないのですが、僕の書いた字を見ただけでわかると(笑)。最初に会った日、好きな装幀とかお互い共有の興味を話したんですね。で、待ち合わせの喫茶店に岩本さんが持ってきた本が、僕も大事にしてる『想像力博物館』(荒俣宏/鈴木一誌/春井裕)だったんです。たまたま僕も岩本さんも一駅違いで、およそ気取りとは無縁の下町に住んでいるんですけど、この界隈でその本を持っているの僕らぐらいですよって話で盛り上がった。そこで意気投合したんです。

──いい話ですね。そこから一緒に仕事を?

秋田●はい。その頃はもう最初から完全DTPでしたね。まだ日本語の書体に満足してなかったので、トレースした写植文字を一字ずつ組んでました。それ以前に、あがってきた写植を再度、手でツメて切り貼りしてたのと同じことを画面上でも相変わらず。手間がかかってDTPの人に嫌がられましたけど、タイトルは全部組み文字。見出しもそうしたいのですが、打ちっぱなしっていうのが気持ち悪くて。絶対、完璧にはできませんが。


楠本まき『戀愛譚』COMICS(2001年)楠本まき『第一画集 two decades』画集(2003年)

楠本まき『KISSxxxx』COMICS(2009年)鳩山郁子『ダゲレオタイピスト』COMICS(2009年)

『ストレンジ・デイズ』雑誌(1998年〜)
松尾清憲『strange years』CD BOX(2003年)

写真集のためのアートワーク(2008年)VAMPS『VAMPADDICT』COSMETIC(2008年)

秋田さんの仕事より

1段目左/楠本まき『戀愛譚』COMICS(2001年)
1段目右/楠本まき『第一画集 two decades』画集(2003年)
2段目左/楠本まき『KISSxxxx』COMICS(2009年)
「はじめてのコミックスの装幀が、99年の『the Complete Reprinted issue of KISSxxxx』ですから、もうかれこれ10年になります。もともと『KISSxxxx』の読者でしたからうれしかったです。しかし、毎度毎度、やらせて頂く度に緊張しますね。求められるハードルが高いんで」

2段目右/鳩山郁子『ダゲレオタイピスト』COMICS(2009年)
「この装幀は、CDジャケットをデザインする時と同じように、あらかじめ絵のモチーフや構成をある程度こちらで決め込んでから絵を描いて頂きました。バラバラに描かれたそのひとつひとつをあとでつなぎあわせています。たまたま同時期に発売された黒夢のラスト・ライヴ盤のジャケットも、同じ作家、同じ手法でデザインしました。この方も作品を観ればすぐにわかるのですが、美意識のハードルが高く、気を抜けませんでしたね」

3段目左/『ストレンジ・デイズ』雑誌(1998年〜)
「内容のディープさに、カストリ雑誌ですか?……なんて冗談を平気で編集長に言っていたものですが、こんなに続くとは正直思っていませんでした(笑)」

3段目右/松尾清憲『strange years』CD BOX(2003年)
「日本が世界に誇るメロディ・メイカー、ミュージシャンズ・ミュージシャンのボックス・セットです。シガレット&チョコレート、リキッド・フラワーというタイトルからインスパイアされました」

4段目左/写真集のためのアートワーク(2008年)
4段目右/VAMPS『VAMPADDICT』COSMETIC(2008年)
VAMPS『VAMPADDICT』はツアー・グッズのひとつで、化粧品メーカーとのコラボで実現した、僕にとっては初めてのコスメのパッケージ・デザインです


次回、第4話は「アートディレクションの意味」を掲載します。

(取材・文:増渕俊之 写真:FuGee)


秋田和徳さん

[プロフィール]

あきた・かずのり●1965年大阪府生まれ。大阪芸術大学デザイン学科卒業後、広告デザイン会社勤務等を経て、94年に独立。音楽ソフトのパッケージを中心に、広告、雑誌、単行本などを手がけている




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