本書で取り上げるのは、「物語を紡ぐ絵画」です。つまり、作品の背後に語られる物語があり、描かれた人物やモティーフに意味が託され、メッセージが込められている。わたしたちはそこに紡がれる物語を読み解いていくことを求められています。こうした絵画の見方を習得するのは少々やっかいで、時間のかかるものかもしれません。けれども、ひとたび、読み方を習得するならば、絵画作品はもっと深くわたしたちに語りかけ、知的な喜びと興奮を与えてくれます。
イエスの洗礼
聖母マリアの従姉妹にあたるエリザベツから生まれた洗礼者ヨハネは、イエスと年が近いこともあり、前述した通り、聖母子像にイエスと一緒に幼児の姿で描かれることがあります。
それ以外にも二人の姿が一緒に見られるテーマとして、「イエスの洗礼」があります。洗礼者ヨハネがヨルダン川で洗礼を授けていたところに、30歳になったイエスが洗礼を受けにやってくるというシーンです。洗礼が終わるやいなや、天が裂け、鳩が現れ「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者である」と天の声が響いたといいます。これこそ、父なる神、神の子イエス、聖霊がひとつになる「聖三位一体」が顕現した瞬間です。
イタリア、ルネサンス期の画家アンドレア・デル・ヴェロッキオの《キリストの洗礼》(図1)は、裂けた天から父なる神の手がのぞいています。洗礼者ヨハネは、アトリビュートである杖状の十字架を持ち、獣の毛皮をまとっています。洗礼者ヨハネのアトリビュートはこれ以外にも、蜂の巣があります。これは、荒野で隠遁生活を送っている最中に、彼が蜂の巣を食べていたことによります。
ヴェロッキオの作品の左側に描かれた天使は若き日のレオナルド・ダ・ヴィンチが、当時新技法だった油彩で描いています。また、右側の天使や洗礼者ヨハネの一部分はボッティチェリが手伝ったのではないかと見る研究者もいます。
洗礼者ヨハネの最期を取り上げた作品の多くは、モローの《出現》(図2)で見られるように、魔性の女サロメとともに生首状態で描かれています。
弟子の召命
洗礼以降、イエスは神の教えを広める福音者として、生涯を送ることになります。宣教活動の中心メンバーとなる12人の弟子たちを十二使徒といい、最初の弟子となったのは漁師をしていたペテロとアンデレの兄弟でした。
不漁に終わった兄弟のところにイエスがやってきて、「沖へ漕ぎ出し、漁をしなさい」といいました。その通りにすると大量の魚がかかり、驚く二人にイエスは「恐れることはない。今から後、あなたは人間をとる漁師になる」といいました。「人間をとる漁師」とはすなわち伝道者のことで、イエスの奇跡を目の当たりにした二人はすぐにイエスに従ったといいます。
このシーンは「奇跡の漁(すなどり)」と呼ばれ、ルネサンスの三巨匠のひとり、ラファエロも描いています(図3)。イエスとペテロ、アンデレの乗る小舟からは魚があふれ、驚いた兄弟はイエスに近寄ろうとしています。岸には黒い鳥が目撃者のように並び、画面右には慌てて漁を続ける仲間の猟師たちがいます。この奇跡の漁のエピソードからペテロのアトリビュートは後述する鍵の他に魚も加わることになります。
ちなみに、偶像崇拝禁止の初期キリスト教美術では、イエスの姿を魚の絵で代用していました。というのも、魚を意味するギリシア語ΙΧΘΥΣ(イクトゥス)は、「イエス、キリスト、神の、子、救世主(ΙΗΣΟΥΣ ΧΡΙΣΤΟΣ ΘΕΟΥ ΥΙΟΣ ΣΩΤΗΡ)」を表すギリシア語の頭文字とされ、魚の図像がイエスの象徴だったからです。
次回の[名画の読解力]は、「受難からの復活という奇跡の物語」。ドメニコ・ギルランダイオ《最後の晩餐》、レオナルド・ダ・ヴィンチ《最後の晩餐》、ジョット・ディ・ボンドーネ《ユダの接吻》などに秘められた物語を読み解きます。
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2020.03.09 Mon