第2話 湯村輝彦さんとの出会い | デザインってオモシロイ -MdN Design Interactive-
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まざまなジャンルで活躍するデザイナーの来歴をたどるシリーズ。今回はグラフィック・デザイナー、イラストレーターのマーチン荻沢さん(HIT STUDIO)を取材し、今日までの足跡をたどりま


第2話 湯村輝彦さんとの出会い



マーチン荻沢さん

新宿区歌舞伎町の仕事部屋にて、マーチン荻沢さん


偶然の出会いが生んだ転機



──湯村さんとの出会いのきっかけは?

荻沢●大学3年ぐらいのときに、ボランティアで『東京展』という展覧会が東京都美術館であったの。そのスタッフをボランティアでやることになって。で、俺たちみたいな素人だけじゃなくて、いま有名な人にも出品してもらおうというんで、俺が湯村さんのところに行ったの。電話して、説明して、参加してもらえませんかって。

──当時、湯村さんは相当……

荻沢●ああ、もう超有名。バリバリだよ。だから緊張したね。だって第一線の人でしょ。俺なんかまだ大学3年ぐらいのペーペーで。でも引き受けてくれて、俺がその頃、シルクスクリーンもやってたのね。そうしたら、湯村さんが「荻沢、それでTシャツ作れないか」と。で、湯村さんのTシャツとか、原画あずかって刷って、それも売ろうという話になったのかな。そのへん詳しく憶えてないけど、なんやかんやで行き来ができたんだよね。それから徐々に仲良くさせてもらって。

──偶然でしたね。

荻沢●うん。大学に入ったのも重要だったけど、湯村さんとの出会いがいまに至る決定的な出来事だったね。

──そろそろ大学3年〜4年で就職とか考えなかったんですか?

荻沢●いや、考えなかったね。相変わらずヒッピーになりたいと思ってたから(笑)。バイトしながら、それで十分だったからね。

──食べていける、と。

荻沢●うん。卒業して、バイトとか探すでしょ。でも、やっぱりデザインの関係って少ないんだ。だから弁当屋やったり、全然関係ないバイトやったり。そのうち知り合い伝手にデザインのバイトもできるようになって。で、レイアウトや色指定の勉強したり。やっぱり大学出たてじゃわからないからね。それから徐々にだね。同時に湯村さんのところに出入りしているから、イラストも自分で描きたくなる。

──それまで、荻沢さんの絵のタッチは……

荻沢●誕生前。あ、でもリキテックスでは描いていたの。もっとリアルなやつ。で、湯村さんに見せたら「面白くないよ」って(笑)。「違うものを描いたほうがいい」と。それで湯村さんの真似して「線画でも描いて持って行こうかな」とか思って。

──転機があった、と。

荻沢●うん。やっぱり尊敬する人に「面白くない」とか言われると、ショックだけど逆にラッキーなことでもあったっんだったよね。だから嬉しかったね。


『VOW 19 街のヘンなもの大カタログ』『VOW王国 青春篇』『VOW POP vintage!』

マーチン荻沢さんの仕事より
左:『ハツラツマガジン記念特別号 特集 湯村輝彦の全て』カバー(大塚化学薬品株式会社/1982年)
ADは湯村氏、デザインは高橋キンタロー氏と荻沢さんの共同
中:『糸井重里 湯村輝彦 こども用 One dozen adult stories』カバー(松文館/1984年)
こちらもADは湯村氏
右:『SXSW 2005 JAPAN MUSIC NOW』カタログ(SXSW Asia/2005年)


同級生とスタジオ始動



──その後は?

荻沢●湯村さんの事務所にはずっと通ってて、遊びだったり、アシスタントとして手伝ったりしてたの。パントーンの色貼りをやったり。そうやってバイトもやりながら生活していくうちに、大学の同級生の高橋キンタローくんと「ヒットスタジオ」を始めたんだよ。

──何歳ぐらい?

荻沢●25歳ぐらいかな。30年前。どうして一緒にやることになったかというと、湯村さんが借りていた事務所を自分の家に移すんで、そこが空くと。で「電話とかそのまんま置いておくから、お前ら入ったら?」と言われて。で、高橋くんと一緒に借りたの。

──高橋さんはそれまでデザイン関係の仕事をしていたんですか?

荻沢●やってたね。まだ版形が小さい『宝島』のときに版下とか作ってた。で、一緒に仕事やり始めてからは『宝島』のVOWとかを担当するようになって。だからデザインを本格的にやるようになったのは仕事が始まってからだった(笑)。そこから本格的に写植の切り貼りやら線を引いたり。でも、俺も高橋くんも就職していなかったから、仕事が広がらなかったんだけど。

──社会人体験がなかったのですね。

荻沢●ないない(笑)。だから、友達伝いにしか仕事がもらえない。どこか大きいデザイン事務所とかに入っていれば、それなりにクライアントを見つけてやれるけど、まるっきりそんなことなかったからね。全部、知り合い伝いだった。……だから、ひょっとして俺の話、みんなの参考にならないんじゃないかな?

──いやいや。それもひとつの「道」ですから。

荻沢●ハハハ。


次週、第3話は「ヒットスタジオあれこれ」を掲載します。

(取材・文:増渕俊之 写真:FuGee)


マーチン荻沢さん

[プロフィール]

まーちん・おぎさわ●1953年東京都生まれ。多摩美術大学グラフィックデザイン科卒業後、高橋キンタロー氏とともに「HIT STUDIO」を設立。宝島社『VOW』シリーズをはじめとするグラフィックデザイン、イラストレーションの両輪で活動を続けている。http://hitstudio.net/




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