様々なジャンルで活躍するデザイナーの来歴をたどるシリーズ。今回は藤田一寿さんを取材し、グラフィックデザイナーとして活躍する今日までの足跡をたどります。
第2話 広告代理店に入社、そして転職
藤田一寿さん
──就職活動は?
藤田●大学の就職課に求人票を探しに行ったとき、OBで東急エージェンシーにいる方が募集を出していたんです。それに応募したら、すんなり受かったのですが。
──優秀だったんですね。
藤田●いえいえ(笑)。東急エージェンシーといっても、東急百貨店の専属デザイナーを探していたので。いろんなセクションがある中で、百貨店のみの仕事です。
──そのセクションはどのくらいの規模で?
藤田●人数は20〜30人くらいの部屋でした。
──最初はアナログ時代ですよね。
藤田●大学で基本は学んでましたが、面食らうことばかりで。最初、指定原稿を作らせられたのですが、やり方をまったくわからず、その過程は現場で学びました。
──失敗とかありました?
藤田●小さい失敗はたくさんありましたよ。
──大学の勉強で役立ったこと、あります?
藤田●あまりなかったですね。特に現場では。大学では2年のとき、専攻で広告の勉強をしてましたから、漠然と一連の流れについての知識はありましたが。
──何年勤めたんですか?
藤田●3年です。辞めるきっかけは……百貨店の仕事というものが、ほぼ1年周期のルーティンワークなんですね。四季の商品を広告にするわけで、去年作ったものを参考に考えていく。で、2年3年勤めると、なんとなくわかってしまって。
──でも、任されることも多くなったのでは?
藤田●ええ。でも、このまま5年10年いていいのかな、と。
──独立志向ってあったんですか?
藤田●いや、特にないです。いまフリーでやってますが、当時はまったく考えていませんでした。で、やっぱり音楽が好きだったので、ジャケットを作りたいと思って会社を辞めたんです。
──アテはあったんですか?
藤田●まったくなかったです。就職情報誌なんかを見ながら、何かヒントがあったら電話をかけてお会いして、そういう仕事がないですか、と。それで偶然、知り合いのカメラマンと事務所をシェアしていた個人デザイン事務所を紹介してもらって転職したんです。一応、CDジャケットも請け負っていて、当時大手レコード会社の仕事の他、クルマの広告などを社長がADで僕がデザインをやっていました。
──では、そこで音楽系プロダクツのノウハウは憶えた?
藤田●そうですね。前の会社時代と周囲の環境が変わったし、あとちょうどコンピュータが導入され始めた頃でした。その事務所でMacを使い始めて、教えてくれる人がいなかったので独学で憶えて。あと、それまで自分で版下を作る経験がなかったのですが、そこではフィニッシュまでやってましたから手の作業も憶えることができました。
──そこは何年?
藤田●2年半です。やはり2人でやってましたから……ADをやられていた方の好みもありますし、ディレクションの意向を汲んでデザインしなくてはならない。ずっとここにいたら、そのままなのだろうな、と。
──その後、どうされようと?
藤田●まったくツテがなかったので、その個人デザイン事務所を辞めてからいろいろ求人情報誌等で探しました。たまたまビクターのデザインセンターの募集があったんですね。それで試験を受けて入社しました。
藤田●大学の就職課に求人票を探しに行ったとき、OBで東急エージェンシーにいる方が募集を出していたんです。それに応募したら、すんなり受かったのですが。
──優秀だったんですね。
藤田●いえいえ(笑)。東急エージェンシーといっても、東急百貨店の専属デザイナーを探していたので。いろんなセクションがある中で、百貨店のみの仕事です。
──そのセクションはどのくらいの規模で?
藤田●人数は20〜30人くらいの部屋でした。
──最初はアナログ時代ですよね。
藤田●大学で基本は学んでましたが、面食らうことばかりで。最初、指定原稿を作らせられたのですが、やり方をまったくわからず、その過程は現場で学びました。
──失敗とかありました?
藤田●小さい失敗はたくさんありましたよ。
──大学の勉強で役立ったこと、あります?
藤田●あまりなかったですね。特に現場では。大学では2年のとき、専攻で広告の勉強をしてましたから、漠然と一連の流れについての知識はありましたが。
──何年勤めたんですか?
藤田●3年です。辞めるきっかけは……百貨店の仕事というものが、ほぼ1年周期のルーティンワークなんですね。四季の商品を広告にするわけで、去年作ったものを参考に考えていく。で、2年3年勤めると、なんとなくわかってしまって。
──でも、任されることも多くなったのでは?
藤田●ええ。でも、このまま5年10年いていいのかな、と。
──独立志向ってあったんですか?
藤田●いや、特にないです。いまフリーでやってますが、当時はまったく考えていませんでした。で、やっぱり音楽が好きだったので、ジャケットを作りたいと思って会社を辞めたんです。
──アテはあったんですか?
藤田●まったくなかったです。就職情報誌なんかを見ながら、何かヒントがあったら電話をかけてお会いして、そういう仕事がないですか、と。それで偶然、知り合いのカメラマンと事務所をシェアしていた個人デザイン事務所を紹介してもらって転職したんです。一応、CDジャケットも請け負っていて、当時大手レコード会社の仕事の他、クルマの広告などを社長がADで僕がデザインをやっていました。
──では、そこで音楽系プロダクツのノウハウは憶えた?
藤田●そうですね。前の会社時代と周囲の環境が変わったし、あとちょうどコンピュータが導入され始めた頃でした。その事務所でMacを使い始めて、教えてくれる人がいなかったので独学で憶えて。あと、それまで自分で版下を作る経験がなかったのですが、そこではフィニッシュまでやってましたから手の作業も憶えることができました。
──そこは何年?
藤田●2年半です。やはり2人でやってましたから……ADをやられていた方の好みもありますし、ディレクションの意向を汲んでデザインしなくてはならない。ずっとここにいたら、そのままなのだろうな、と。
──その後、どうされようと?
藤田●まったくツテがなかったので、その個人デザイン事務所を辞めてからいろいろ求人情報誌等で探しました。たまたまビクターのデザインセンターの募集があったんですね。それで試験を受けて入社しました。
藤田さんの仕事より
上/個人事務所で働いていた時の制作物です。
下左/ビクター・デザインセンターで担当した、紙ジャケやCDシングル(復刻盤)。
下右/ビクターではいろいろなジャンルのCDジャケットを作りました。これはアニメのサントラCDです。
上/個人事務所で働いていた時の制作物です。
下左/ビクター・デザインセンターで担当した、紙ジャケやCDシングル(復刻盤)。
下右/ビクターではいろいろなジャンルのCDジャケットを作りました。これはアニメのサントラCDです。
次回、第3話は「音楽のことだけを考えて」を掲載します。
(取材・文:増渕俊之 写真:FuGee)
(取材・文:増渕俊之 写真:FuGee)
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[プロフィール] ふじた・かずひさ●1968年広島生まれ。武蔵野美術大学短期デザイン科卒業後、東急エージェンシーに入社。退社後、個人事務所、ビクター・デザインセンターでの勤務を経て独立。 http://www014.upp.so-net.ne.jp/kazworks/top.html |