様々なジャンルで活躍するデザイナーの来歴をたどるシリーズ。今回は藤田一寿さんを取材し、グラフィックデザイナーとして活躍する今日までの足跡をたどります。
第3話 音楽のことだけを考えて
藤田一寿さん
──ビクターの試験はどのような?
藤田●面接と、簡単なデザインの実技テストがありました。こういうアーティストがいてこういうタイトルで鉛筆でラフを描きなさい、と。確か30人ぐらい受けていたのかな、2人採用されたうちの1人でした。
──配属は社内のデザインルーム?
藤田●はい。デザインセンター。嬉しかったですね。できるならば一生勤めたいと思ってましたから。音楽のことだけを考えていればよかったですし。
──世の中的にジャケットが豪華になった時期ですね。
藤田●ええ。でも、予算がかけられるものは少なかったですよ。デザインセンターに結構人も多くいましたから、好きな仕事だけ回ってくるわけではありませんし。
──どんなアーティストを手がけてました?
藤田●邦楽、洋楽、アニメ、演歌……なんでもやってました。ただメインだったのは洋楽でしたね。ビクターが契約している海外のアーティスト作品をローカライズする仕事です。オビをつけたり。
──収入的には?
藤田●以前と比べたらよくなりました。ただ、忙しかったですね。毎月、14〜5枚は抱えてましたから。全部ゼロからやるものばかりじゃないから同時進行もできましたが、オビやライナーもやらなくてはならない。でも、同僚や仲間とワイワイ楽しくやってました。
──ビクターは何年お勤めを?
藤田●3年ですね。辞めた理由はシビアなのですが、やっぱり好きなものだけをやるわけにはいかない。ある程度、売り上げも関わってくる。それはデザインも関係してきますから。で、僕は契約社員だったので、1年に1回、契約更新がある。そこで翌年の給料が決まるのですが、自分への一年間の評価が出てきます。上司からの評価もそうですし、売り上げやこなした数……通信簿みたいなものですね。で、これは力を入れてやりたいというタイトルがあっても、そればかりやっているとお金にならなかったりしますよね。その操作みたいなバランスが自分の中でとれなくて……まあ、会社ですからそれは仕方がない。
──なるほど。
藤田●あとは僕も上の立場になってきて、新人の面倒もみてほしい、と。そうすると現場から離れなくてはならない。それはちょっと違うかなと思って。
──そこで独立を?
藤田●そのときは半々でしたね。一人でやっていけるのか不安もあったし、他のところも受けてみたいという気持ちもあって。一応、募集をかけているところを受けてみたのですが、もう年齢も33〜4だったので厳しい。で、仕方なくじゃないですが、独立してフリーになったんです。
──アテは?
藤田●なかったですね。ビクターの仕事を持って出るということもなかったので。辞めた直後は各レコード会社や出版社とかに売り込みに行って。すぐには仕事はなかったので、最初の1年は失業保険と貯金で食いつないでました。
──でも、徐々に?
藤田●ええ。それまでやってなかったのですが、シンコーミュージックに作品を持って行ったのをきっかけにムックの仕事をいただきました。エディトリアルは初めてだったから、まずページ数が多くてビックリして。200P前後かな……大変だとは思ったけど、一冊まるごとやると達成感もあるし収入にもなる。それがきっかけで書籍の仕事が増え、徐々に安定してきた感じですね。
藤田●面接と、簡単なデザインの実技テストがありました。こういうアーティストがいてこういうタイトルで鉛筆でラフを描きなさい、と。確か30人ぐらい受けていたのかな、2人採用されたうちの1人でした。
──配属は社内のデザインルーム?
藤田●はい。デザインセンター。嬉しかったですね。できるならば一生勤めたいと思ってましたから。音楽のことだけを考えていればよかったですし。
──世の中的にジャケットが豪華になった時期ですね。
藤田●ええ。でも、予算がかけられるものは少なかったですよ。デザインセンターに結構人も多くいましたから、好きな仕事だけ回ってくるわけではありませんし。
──どんなアーティストを手がけてました?
藤田●邦楽、洋楽、アニメ、演歌……なんでもやってました。ただメインだったのは洋楽でしたね。ビクターが契約している海外のアーティスト作品をローカライズする仕事です。オビをつけたり。
──収入的には?
藤田●以前と比べたらよくなりました。ただ、忙しかったですね。毎月、14〜5枚は抱えてましたから。全部ゼロからやるものばかりじゃないから同時進行もできましたが、オビやライナーもやらなくてはならない。でも、同僚や仲間とワイワイ楽しくやってました。
──ビクターは何年お勤めを?
藤田●3年ですね。辞めた理由はシビアなのですが、やっぱり好きなものだけをやるわけにはいかない。ある程度、売り上げも関わってくる。それはデザインも関係してきますから。で、僕は契約社員だったので、1年に1回、契約更新がある。そこで翌年の給料が決まるのですが、自分への一年間の評価が出てきます。上司からの評価もそうですし、売り上げやこなした数……通信簿みたいなものですね。で、これは力を入れてやりたいというタイトルがあっても、そればかりやっているとお金にならなかったりしますよね。その操作みたいなバランスが自分の中でとれなくて……まあ、会社ですからそれは仕方がない。
──なるほど。
藤田●あとは僕も上の立場になってきて、新人の面倒もみてほしい、と。そうすると現場から離れなくてはならない。それはちょっと違うかなと思って。
──そこで独立を?
藤田●そのときは半々でしたね。一人でやっていけるのか不安もあったし、他のところも受けてみたいという気持ちもあって。一応、募集をかけているところを受けてみたのですが、もう年齢も33〜4だったので厳しい。で、仕方なくじゃないですが、独立してフリーになったんです。
──アテは?
藤田●なかったですね。ビクターの仕事を持って出るということもなかったので。辞めた直後は各レコード会社や出版社とかに売り込みに行って。すぐには仕事はなかったので、最初の1年は失業保険と貯金で食いつないでました。
──でも、徐々に?
藤田●ええ。それまでやってなかったのですが、シンコーミュージックに作品を持って行ったのをきっかけにムックの仕事をいただきました。エディトリアルは初めてだったから、まずページ数が多くてビックリして。200P前後かな……大変だとは思ったけど、一冊まるごとやると達成感もあるし収入にもなる。それがきっかけで書籍の仕事が増え、徐々に安定してきた感じですね。
藤田さんの仕事より
上左/ビクターから発売されたロック・バンド、キンクスの日本編集ベスト盤。年代を分けて3種類制作。
上右/イラストの依頼を受けて制作したCDジャケットです。デザインは別のデザイナーの方が。
上/フリーになってからは書籍のお仕事も増えました。ほとんどが音楽関係の本です。
上左/ビクターから発売されたロック・バンド、キンクスの日本編集ベスト盤。年代を分けて3種類制作。
上右/イラストの依頼を受けて制作したCDジャケットです。デザインは別のデザイナーの方が。
上/フリーになってからは書籍のお仕事も増えました。ほとんどが音楽関係の本です。
次回、第3話は「買う人の立場から」を掲載します。
(取材・文:増渕俊之 写真:FuGee)
(取材・文:増渕俊之 写真:FuGee)
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[プロフィール] ふじた・かずひさ●1968年広島生まれ。武蔵野美術大学短期デザイン科卒業後、東急エージェンシーに入社。退社後、個人事務所、ビクター・デザインセンターでの勤務を経て独立。 http://www014.upp.so-net.ne.jp/kazworks/top.html |