第2話 仕事が仕事を生む | デザインってオモシロイ -MdN Design Interactive-
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第2話 仕事が仕事を生む



主流への反発が生んだ「俺流」






――独立してから、仕事は順調だったのですか?

打越●そうですね。知り合いの音楽事務所に所属していたGreat 3のビジュアルをまかされたり、自分でプロデュースとデザインを手がけたコンピレーションCD『BIRTH』を出したり。でも、居候先の事務所は2畳ぐらいのスペースでしたが(笑)。

――やはり、音楽関係での経験が根本で活きたのですね。

打越●ありがたいことに。とはいえ、デザイナーになってからも友人のバンド「ガスボーイズ」に参加してドラムを叩いたり、事務所の設立当初はレコーディング・ミキサーが所属してたり、やってることはちゃらんぽらんでしたけど。


Great 3『Richmond High』(1995年/東芝EMI) 片寄明人、高桑圭、白根賢一による3ピース・バンドのメジャー・デビュー盤。切り文字風のロゴ・タイプと、浮遊感のあるセピア写真でスリーブを飾る

Great 3『Richmond High』(1995年/東芝EMI)
片寄明人、高桑圭、白根賢一による3ピース・バンドのメジャー・デビュー盤。
切り文字風のロゴ・タイプと、浮遊感のあるセピア写真でスリーブを飾る


――デザイン一本で「いける」と思ったのは?

打越●95年から96年が当たり年だったんです。CHARA、UA、井上陽水さん、忌野清志郎さん、ドリカム吉田美和さんのファンク・ザ・ピーナッツ……と、仕事が仕事を呼ぶ状況でした。完全に舞い上がってましたね。でも、いつも自分には基礎がない……というコンプレックスを強く持っていたんです。

――アウトサイダーだと?

打越●そうです。当時、音楽系デザインの主流はコンテムポラリー・プロダクション、タイクーン・グラフィックス、スントー事務所……といった有名どころで、自分はその流れじゃないから「ダメだ」という気持ちがいつもどこかあったんです。そうした反発のおかげかもしれないけれど、好き勝手に“俺流”みたいなことができたのかな、と。

――確かに、主流と一線を画する独特の雰囲気があるような気がします。事務所名もデザイン同様、どこかエキゾチックな響きで。

打越●「錦瓊」というのはニワトリの名前なんです。あと、香港って「Hong Kong」と書くじゃないですか。ああいう響きが欲しくて、最初は「King Cay」と名乗ってました。漢字で表記するようになったのは後からでしたが……自分の名前を出して仕事することに魅力を感じてなかったんです。どちらかというと団体の名前で、いろんな連中が集まってる態勢にしたくて。

――以降、スタッフも増えて?

打越●そうですね。さすがに2畳の仕事場が手狭になって、しかもあまりに時間がルーズだから居候先の生態系を壊す状態だったので(笑)、世田谷の池尻に本格的に事務所を移転しました。そこもいろんな人が出入りするようになって、洋服作る人たちと同居してたから最後はメチャクチャなことになりましたが。


姿勢としての「ロック」を掴む






――仕事のメインは音楽CDと決めていたのですか?

打越●途中、いくつか「お?」という仕事はあったんですが、やっぱり基本は音楽ですね。いまだに、そのラインは変わらない。

――いろんなジャンルやタイプのアーティストを手掛けてますよね。なにかコツみたいなものはあるのですか?

打越●コツと呼べるものはないけれど……やっぱり、みんなロックですよね。ロックなものが好き。人によって分け方は違うかもしれないですが、姿勢がロックというものに対しては掴みやすい。でも、自分が通ってきてない音楽に対しては非常に弱い。

――横浜銀蠅のジャケットも手がけてましたよね?

打越●やってました(笑)。面白いなって思うのは「錦瓊」という名前で漢字をモチーフにしたものを作っていくと、漢字で出そうとするCDだとかビジュアルの話がいっぱい来るんですね。あと、黒夢をやったときはパンクの仕事がやたら集中したし。一回そういう打ち出しをすると、仕事が仕事を呼ぶというのはあります。

――では、営業みたいなことをしたのは、独立当初にしただけですか?

打越●いや、数年前に少しやりました。最近は作ったものもまとめてないな……。正直言うと、ブックも昔から自分自身では作ってなくて。アシスタントがいるときにやってもらっていたのですが、そもそも事務的なことって苦手なんです。

――作ったら、作りっぱなし?

打越●割と、そういう性格ですね(笑)。

――でも、それで仕事が回るというのは、いい傾向ですね。

打越●ラッキーだったと思います。あと、音楽系の仕事はメディアが取り上げてくれることが多い。さっき言った当たり年の頃、雑誌『SWITCH』がアートワークを取り上げてくれたんですね。当時手がけていたアーティストのアウトテイク・ビジュアルを、8ページで構成して。あれには、すごく励まされました。


『SWITCH』1996年5月号

当時、打越氏がCDジャケットを手がけていたCHARA、忌野清志郎、Great 3、高野 寛などのビジュアルをまとめた誌上企画。秘蔵の「アウト・テイク集」という切り口だったが、そのほとんどが作り下ろし

『SWITCH』1996年5月号(Switch Publishing)
当時、打越氏がCDジャケットを手がけていたCHARA、忌野清志郎、Great 3、高野 寛などのビジュアルをまとめた
誌上企画。秘蔵の「アウト・テイク集」という切り口だったが、そのほとんどが作り下ろし

次週、第3話は「職人としての自覚」についてうかがいます。


(取材・文:増渕俊之 写真:栗栖誠紀)


錦瓊・打越俊明氏

[プロフィール]

うちこし・としあき●1969年東京都生まれ。高校卒業後、洋食店に就職。その後、イギリス留学、音楽事務所勤務、デザイナー・アシスタントを経て、24 歳で独立。デザイン事務所King Cay Lab.(後に「錦瓊」と表記)を設立し、数多くの音楽CDジャケットなどを手がける。現在、デザイン業と同時にアート・プロジェクト 「MIRRORBOWLER」の一員として活動中。

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