第4話 フリッパーズ「後」について
よりデザイナーの時代へ
よりデザイナーの時代へ
──フリッパーズ以降、音楽ソフトのデザイン意識が変わったように思います。
信藤●それは確かにありますね。広がりが生まれました。
三浦●ジャケット・デザインは変わったね。自由奔放に。
信藤●三方背のボックスとか、やがて特殊仕様が売れるという風潮になったりする時代も来て。でも僕自身、そのうち特殊パッケージに飽きて「別に普通でいいんじゃない?」と思うようになった。で、いつの間にかCDが売れない時代になったのですが……今年の初めぐらいに気がついたんですよ。通常仕様のCDデザインがやっぱりつまらないって。
三浦●おろそかになっちゃった?
信藤●というか、ダウンロードの時代ですから。逆に特殊仕様にしたほうが「ダウンロードつまらないじゃん」という気にさせるのではないか、と。
──手に持った感触が大事だとは感じます。
信藤●そう。その揺り戻しはあると思って、最近はことあるごとに特殊パッケージにしようと言ってるの(笑)。だって今、CDショップがつまらないでしょ。
三浦●ジャケット・デザインは変わったね。自由奔放に。
信藤●三方背のボックスとか、やがて特殊仕様が売れるという風潮になったりする時代も来て。でも僕自身、そのうち特殊パッケージに飽きて「別に普通でいいんじゃない?」と思うようになった。で、いつの間にかCDが売れない時代になったのですが……今年の初めぐらいに気がついたんですよ。通常仕様のCDデザインがやっぱりつまらないって。
三浦●おろそかになっちゃった?
信藤●というか、ダウンロードの時代ですから。逆に特殊仕様にしたほうが「ダウンロードつまらないじゃん」という気にさせるのではないか、と。
──手に持った感触が大事だとは感じます。
信藤●そう。その揺り戻しはあると思って、最近はことあるごとに特殊パッケージにしようと言ってるの(笑)。だって今、CDショップがつまらないでしょ。
三浦●それにしても、LPからCDに移行したときの信藤さんの勢いはすごかった。俺は戸惑っていたけど……。
信藤●いや、僕もCDは嫌だったんですよ。三浦さんはアナログ時代から撮ってるから、戸惑いは大きかったと思いますが。
三浦●LP時代は6×6のハッセルで撮っていたからね。CDだと35ミリでいいんだっていう驚きもあって。でも、信藤さんはすごく対応が早かった。パッケージ全体を考えて、プラケースの内側とか隠れた部分までデザインしたり。
信藤●結局、よりデザイナーの時代になったんですね。それまでは「いい写真が一発あればいいじゃん」という世界だったから。
三浦●それがフリッパーズの登場と一緒になって、それまでやったことがないことを要求されるようになったんだよね。打ち合わせのときに「いつも通りで」なんて言われないから、こっちは「ちょっと待ってよ!」って(笑)。
──フリッパーズ以降、それが常識に?
三浦●うん。だから、みんな相当ショックだったと思うよ。特殊ジャケットなんて、ほとんどなかったし。それが音と比例して並んでいたからね。
信藤●やっぱり、音があればこそ。彼らが魅力的だったから、彼らのやりたいこととデザインが相乗効果を生み出していたのだと思う。
三浦●LP時代は6×6のハッセルで撮っていたからね。CDだと35ミリでいいんだっていう驚きもあって。でも、信藤さんはすごく対応が早かった。パッケージ全体を考えて、プラケースの内側とか隠れた部分までデザインしたり。
信藤●結局、よりデザイナーの時代になったんですね。それまでは「いい写真が一発あればいいじゃん」という世界だったから。
三浦●それがフリッパーズの登場と一緒になって、それまでやったことがないことを要求されるようになったんだよね。打ち合わせのときに「いつも通りで」なんて言われないから、こっちは「ちょっと待ってよ!」って(笑)。
──フリッパーズ以降、それが常識に?
三浦●うん。だから、みんな相当ショックだったと思うよ。特殊ジャケットなんて、ほとんどなかったし。それが音と比例して並んでいたからね。
信藤●やっぱり、音があればこそ。彼らが魅力的だったから、彼らのやりたいこととデザインが相乗効果を生み出していたのだと思う。
日本のセカンド・サマー・オブ・ラヴ
──彼らの登場を境に、レコード会社の意識も変わったように思います。
信藤●それ以前は、レコード会社のハウス・デザイナーがジャケットを手がけるケースが多かったんです。でも、段々と外部のデザイナーを使うようになって。
三浦●社員デザイナー、多かったね。逆に外部は少なかった。
信藤●そもそもジャケットはジャケットのデザイナー、広告は広告……というように、デザインの担当も別でした。最初、それをユーミンの仕事のときに知って意外に思ったんです。でも、それは変だから、僕が一緒にやったほうがいいって話をしたら「お願いします」と。まだ、80年代後半は別々が常識だったんですね。
三浦●そうだね。アートディレクションをトータルで受け持つようになったのは、信藤さんの存在が大きかった。
──フリッパーズ自体が、そのようなトータル・イメージを打ち出すアーティストのパイオニアだったのでは?
信藤●その前にYMOが、自らコントロールしていましたけど……。
三浦●フリッパーズの場合は、二人が信藤さんのことを「兄貴」って感じで慕っていたんですよ。あの関係は端から見てて面白かった。他のミュージシャンだと、間にマネージャーとかのクッションが入る。でも、彼らはダイレクトに言い合えたのが特徴でしょう。
──先ほどから「超えられない」という発言がありますが、それは彼らみたいな存在がいないから超えられないのか、この時期特有のものだったからでしょうか?
信藤●ある種、日本のセカンド・サマー・オブ・ラヴなんですよね。
三浦●ああ、周りの雰囲気がね。俺はまったく知らない音楽だったけれど、新しいものとしての興味を持ったし。彼らを境にスチャダラパーとかオリジナル・ラヴとかを撮るようになって……あの頃の邦楽シーンは勢いがあったね。
信藤●非常に刺激がありましたよ。
三浦●で、そういう若い人たちの写真を撮って「こんな仕上がりになるのか」って知ったのは信藤さんがきっかけ。それまでは、撮ったら「ハイ、おしまい!」だったから。
信藤●写真をデザインすること自体、それまではあまり自由にできない雰囲気があったんですよ。
三浦●信藤さんは、その素材を自分で撮り始めたからね。それは強い(笑)。
次週、第5話は「戦友たちの17年が過ぎて」を掲載します。
(取材・文:増渕俊之 写真:谷本 夏)
[プロフィール] しんどう・みつお●1948年東京都生まれ。コンテムポラリー・プロダクション主宰。音楽ソフトのグラフィック・デザインを数多く手がける一方、PVの演 出をはじめとする映像作家として活動。1998年、初の監督映画作品『THE DETECTIVE IS BORN 代官山物語「探偵誕生」』を発表。7月29日より、最新作『男はソレを我慢できない』が公開(渋谷シネ・アミューズほか、全国順次ロード ショー)。http://www.ctpp.org/ |