第3話 DTPでもアナログ感覚 | デザインってオモシロイ -MdN Design Interactive-
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第3話 DTPでもアナログ感覚


白石良一氏

寝袋を用意してからのアートディレクション


――独立のきっかけは?

白石●まぁ、ちょっと疲れちゃったんですね。でも、なぜか合間に旅もしないで、すぐ事務所を立ち上げてました。とりあえず、いろんなところに挨拶に行って、アウトドア雑誌の仕事を何ページかもらったり、企業の入社案内のプレゼンをやっていたら、ことごとく通ってたんです。だから、結構忙しかった。

――すぐ仕事があると思ってました?

白石●全然(笑)。もうノンビリやろうと思ってました。生活の不安はすごくあったけれど、雑誌のレイアウト1ページやれば1万円ぐらいでしょ。1カ月100ページやれば大丈夫だろう、と。でも、食えなかったら仕方がないと腹をくくってました。そうこうしているうちに、すぐ『SWITCH』を丸ごとやらないか……という話が来たんです。

――ラッキーに思いました?

白石●むしろ、かつて携わっていた『Esquire』の競合誌じゃないですか。だから複雑な思いがありましたよね。しかもスタッフはアルバイト一人だけだったから。だけど、とりあえずやれば、なんとかなるかなって。

――1995年3月からのスタートですね。

白石●話が来たのが、その1カ月前。いま振り返ると凄まじかった。引き受けた日、当分家に帰れないと思って、寝袋を買いに行きましたから(笑)。

――1冊160ページありますね。

白石●数をこなすのは、なんとも思ってませんでした。木村さんのところで、丸ごと一冊任されていましたから。あと、雑誌は流せるところとそうではないところがある。経験上、緩急のつけ方がわかっていたので、その点は怖くなかったのですが……。

――それまでのクラシカルなデザインが通用するか、どうか?

白石●ええ。だって『SWITCH』は音楽系が多いし、少しトンガった感じにしないとダメかなって。いま思うに、ちょっと無理してヤリ過ぎたところもありましたね。でも作業的には、前とまったく同じですよ。他のやり方を知らないんだもん。

――当時、DTPが主流になり始めましたが、導入は考えました?

白石●いや、編集部の対応が未知だったし、僕自身、当時はマシンを1台しか買えなかったんです。まだ高かったし、使い方もよくわからなかったし、すぐバグる。でも、暗室係をさんざんやったおかげで、独立したときに写真だけはスキャニングするようにしましたけれど(笑)。

――では、基本的にはアナログで?

白石●ですね。ずっと写植入稿でした。一応、画面上でレイアウトして、プリントアウトに指定してたんです。でも、それって実は手間のかかる方法なんですよ。ただ、いまだにそのクセが残ってて、レイアウトができても文字指定しないと気が済まない。ちなみに、現在やっている『PLAYBOY』と『母の友』はいまだに写植なので、その方法です。


『SWITCH』(April 1995 Vol.13 No.3/スイッチ・パブリッシング)

白石氏が独立後、最初にアートディレクションを手がけた『SWITCH』(April 1995 Vol.13 No.3/スイッチ・パブリッシング)。抑制がきいたストイックなデザイン・ライン、大胆な写真使いが特徴を放つ

初期DTP時代の悪戦苦闘


??『SWITCH』と並行して、次第に他の雑誌を手がけるようになりましたね。

白石●96年から、朝日新聞社が新創刊した車雑誌『avant』を始めました。僕も車が好きだし、スタッフも熱意があったのですが……残念ながら8号で廃刊。まったく自動車雑誌に見えなかったという理由なのかも。好き勝手やらせてくれましたが。

――ここでDTPを本格導入したようですが……

白石●大変でした。当初はIllustratorで、単純に手でやっていた作業を置き換えるだけにしたかったんです。でも、印刷会社もまだシステムができてなくて試行錯誤。入稿データをQuarkXPressに落していたのですが、そのルールを朝日と印刷会社で取り決めするのに苦労がありました。

――コンバータとかですか?

白石●いや、全部手作業。うちでレイアウトを渡しても半完成品で、それを印刷所でフィニッシュさせないとならない。というのも、僕は
Quarkがあまり好きではなかったんです。フォーマット作りに便利なソフトですが、うちのデザインは本文組みのフォーマットなんて関係ない。白場(ホワイトスペース)を見ながら、落ち着くところにガンガン動かしちゃう。だから、Illustratorのほうが感覚的にやりやすいんです。

――では、どうされたんですか?

白石●全ページ、張り付け(笑)。だから、ゲラの時点ですごくミスが多かった。とんでもないところに本文が飛んでたり。ある意味、いい勉強になりました。

――3年ほど『SWITCH』を担当した後も、順調な仕事ぶりですね。

白石●『Esquire』が別冊の仕事を持ってきてくれたり、新雑誌『monthly M』の話が来たり……確かに仕事が途切れてませんね。

――いま現在手がけている『PLAYBOY』日本版はいつから?

白石●今年で3年目です。その前は師匠の師匠、江島さんがやってらして。最初はおこがましいと思って、出版社の人間に「義理を通してください」と頼みました。とりあえず丸く収まって始まったのですが。

――これも元はアメリカの歴史ある雑誌で、どう思いました?

白石●デザイン的には、全然心配はなかったです。もともと僕、後ろ向きなデザインだから(笑)。60?70年代のバックナンバーも好きで持っていたし、あの時代のアメリカの雑誌はそんなにテイストが変らないんですよ。そういうのを見てるから、引き出しはいくらでもある。みんなからは“昭和のデザイン”と呼ばれていますが(笑)、それは確信犯でやっているんです。


『avant』(July 1996 No.1/朝日新聞社)

DTP入稿へと移行しながらも、まだ印刷会社のシステム対応が完備してなくて苦労の多かった自動車雑誌『avant』(July 1996 No.1/朝日新聞社)
次週、第4話は「エディトリアル・デザインのツボ」についてうかがいます。

(取材・文:増渕俊之 写真:谷本 夏)



[プロフィール]

しらいし・りょういち●1963年東京都生まれ。武蔵野美術大学視覚伝達デザイン学科を卒業後、木村裕治氏に師事。1994年に独立、白石デザイン・オフィスを設立する。以降、雑誌『SWITCH』『avant』『monthly M』などのエディトリアル・デザインを中心に活動。現在、雑誌『PLAYBOY』『OCEANS』『母の友』、フリーペーパー『ジェイヌード』などのアート・ディレクションの他、書籍装幀を手がけている。

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