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映画の中の名画

2019.12.16 Mon2021.09.03 Fri

ブレードランナーとメランコリアのポーズ

映画の中の絵画『ブレードランナー』編 #2(全3回)

文:平松洋

前回に引き続き、ここではSF映画の金字塔『ブレードランナー』に登場する絵画を分析して、作品の核心に迫ります(今回は全三回中の第二回目「ブレードランナーとメランコリアのポーズ」について)。*本記事は、映画の中に登場する西洋絵画(=名画)に注目して、そこから映画の真の意味を解き明かす新感覚の映画レビュー連載です。

レプリカントのポーズを絵画の視点で考察

前回は、レプリカントが持っていた写真に登場する「鏡」にフォーカスし、ヤン・ファン・エイク作『アルノルフィーニ夫妻の肖像』を取り上げました。この絵の中に描かれた凸面鏡には、映画と同じく、重要な人物がそこにいたことを示す、存在証明としての画像が写し込まれていたのです。

映画の中の名画『ブレードランナー』編 #1

このことは、すでに多くの人が気づいていて、『ブレード・ランナー』関連の書籍でも指摘されています。しかし、不思議なことに、この同じ写真に登場するもう一つの重要な西洋絵画のモチーフについては、私の知る限り、これまで誰も指摘していないのです。それが、ルトガー・ハウアー演じるレプリカントのロイ・バティーのポーズです。劇中でロイは、まどろむように右手で頬杖をつきます。

レプリカント(=アンドロイド)のロイ・バティ。人間を殺したレプリカントのリーダー的存在として、レプリカント専門の賞金稼ぎ(=ブレードランナー)の主人公デッカードに追われる。映画の根幹を担う重要な登場人物の1人

このロイのポーズが極めて重要なことは、レプリカントを追うブレードランナーのデッカードが、劇中で3D写真の光学分析機である「エスパー・マシン」で検査する際に、最初に拡大して映し出していることからも明らかです。しかも、デッカードは、その姿を拡大して、頬杖をついている場面を大写しにします。

主人公のデッカードが写真を拡大して分析する場面(のイラスト)。劇中ではこの頬杖をついた人物を入念に調べるシーンがある(イラスト:エスヴィヨン)

さらに、興味深いのは、その頬杖をついたロイの姿を凝視するデッカード自身も同じように頬杖をつくのです。ただし、デッカードはロイと反対で、左手をついています。

デッカードとロイが鏡の表裏の関係であることを意味しているのでしょうか。それとも、単に、心理学でいうところのミラーリング(相手と同じポーズを取ること)を無意識に行っただけなのでしょうか。あるいは、ロイはまどろみのポーズとして、デッカードは熟考のポーズとして、両者が偶然、同じポーズになっただけなのでしょうか。

この「頬杖をつくポーズ」が、西洋美術史において、どういった意味があるかを解き明かす時、映画『ブレードランナー』の解釈は全く違ったものになっていくはずです。

頬杖をつくポーズ。ヒントは古代の自然哲学!?

実は、この頬杖をつく人物の図像として有名な版画があるのです。それが、デューラーの『メランコリアⅠ』です[*1]

[1]アルブレヒト・デューラー『メランコリアⅠ』1514年/銅版画/シュテーデル美術館

ロイのポーズとは、左右反対になりますが、有翼の天使のような人物が、まさに頬杖をついています。この「天使」のような人物は、「メランコリー」、つまり、憂鬱質の擬人像だと考えられています。その周囲の財布や鍵は、憂鬱質の持物(*アトリビュート)で、黒い顔に頬杖と握りこぶしは憂鬱質に定番のポーズだといいます。

(*アトリビュートとは、例えば、聖母マリアなら「ユリ」、ヴィーナスなら「キューピッド」など、その人物と一緒に描かれることが多く、人物特定のための手掛かりとなるもので、持物[じぶつ]とも呼ばれます)

こう主張したのが、誰あろう、前回取り上げた『アルノルフィーニ夫妻の肖像』を婚姻証明書として読み解いた美術史家のパノフスキーでした。彼と、同じく美術史家のザクスル、そして、哲学史家のクリバンスキーを加えた3人は、共著『土星とメランコリー』を出版し、この書籍の中で、『メランコリアⅠ』を読み解いています。

本書によると、古代ギリシャ・ローマの自然哲学では、宇宙は、空気、火、土、水の4つの元素から成り、これに対応して人間も4つの体液を構成しているとされてきました。それが、血液、黄胆汁、黒胆汁、粘液で、もって生まれた気質や行動を決定すると考えられたのです。さらに、占星術の影響で、この4体液説が惑星と関連して語られるようになります。

4体液説の対応関係

  • 「空気」―「血液」―「春」―「幼年」―「多血質」―「木星ユピテル」
  • 「火」―「黄胆汁」―「夏」―「青春」―「黄胆汁質」―「火星マルス」
  • 「土」―「黒胆汁」―「秋」—「壮年」—「憂鬱質」―「土星サトゥルヌス」
  • 「水」-「粘液」—「冬」—「老年」—「粘液質」―「月ディアナ」または「金星ヴィーナス」

 

この4つの中で、憂鬱質は、土の影響下にあり、黒く、乾燥し、冷たく、土地や富と関連し、墓堀り人夫や(『ブレードランナー』の続編、『ブレードランナー2049』ではまさに主人公のレプリカントが墓あばきをするシーンがあります)、金貸し、泥棒がふさわしいとされ、否定的に語られてきました。

しかし、ルネサンスを経ると、土星に支配された黒胆汁の憂鬱質の人間は、孤独で瞑想を好み、思索に向かい、知的労働に向いているとされたのです。そして、彼らの魂が第一段階として「想像力」と結びつくと、画家や建築家になるとされ、『メランコリアⅠ』では、まさに幾何学や建築、絵画に関連するものが描き込まれています。

さらに、その魂が「理性」や「叡智」と結びつくことで、天使の域に到達するといいます。そのため、『メランコリアI』の憂鬱質の擬人像は、天使のように有翼で描かれているのでしょう。

天使といえば、ロイ自身、レプリカントの目を製造しているチュウを訪ねた際、「天使たちは焼け落ち、雷鳴とどろく岸辺、オークの火と共に燃える」と、ウィリアム・ブレイクの詩に着想を得た詩句を口ずさみます。つまり、自分たちを「(堕)天使」に喩えていたのです。このレプリカント=天使の文脈は、続編の『ブレードランナー2049』にも引き継がれることになります。

繰り返される「4」の数字の謎

ところで、デューラーの版画として有名な作品としては、『犀』が挙げられます[*2]

[2]アルブレヒト・デューラー『犀』1515年/木版画

例の写真をエスパー・マシンで探索する直前にデッカードの部屋が映し出されるのですが、そこにあったのが、まさにサイのイラストでした。サイは一角獣の元になった動物のひとつで、その直後に当初の公開版では削られた一角獣のシーンにつながり、さらに、ピアノの上に緑の球体のライトが写ります。

このライトこそ、まさに土星のランプ(『ツイン・ピークス/ローラ・パーマー最期の7日間』にも登場)だったのです。つまり、「サイ」と「土星」のライトがデューラーの『メランコリアⅠ』を連想させ、その頬杖をつくポーズをデッカードとロイにさせることで、二人を土星に支配される憂鬱質の人物として描いていたのです。

そう考えると、なんと、4人のレプリカントがそれぞれ4体液説に対応していたことに気づくでしょう。空気のように軽やかに宙を舞って攻撃する、幼さがのこり、春をひさぐ多血質のプリス、火のごとく怒り、軍神マルスのように戦いを好む黄胆汁質のリオン。そして、風呂やシャワーなど水に関わり(ホテルの名もフンターヴァッサー「水の探索者」)、金星ヴィーナスのように裸体をさらす粘液質のゾーラです。

レプリカントの一人、幼さがのこり春をひさぐ多血質のプリス(写真中)
レプリカントの一人、軍神マルスのように戦いを好む黄胆汁質のリオン(写真左)
レプリカントの一人、金星ヴィーナスのように裸体をさらす粘液質のゾーラ

さらに、この4という数字が、『ブレードランナー』の映画全体を支配していたことにも気づくはずです。冒頭のシーンで、4つの塔から炎が吹き上がり、レプリカントの寿命をはじめ、各所に4という数字が出て来ます。特に重要なのは、デッカードが注文する魚丼の魚の数で、店主に「2つで十分ですよ」と言われても、「2足す2で、4だ」と4にこだわるのはこのためです。

そして、1人目のゾーラを仕留めた後で、上司が、逃亡したレイチェルを含めて、ターゲットのレプリカントの数は、依然4であることを強調します。これは、金星ヴィーナスの支配下にある粘着質のゾーラの位置に、レイチェルが取って代わったことを意味します。当然、ヴィーナスは愛の女神でもあるわけで、レイチェルがデッカードと結ばれるのは4体液説からしても当然のことだったのです。

頬杖をつくポーズを2枚の絵画から解く

では、ともに頬杖をつく憂鬱質のロイとデッカードの運命も、このメランコリーの図像から予想できないでしょうか。

そもそも頬杖などの肘をついて首を支えるポーズは、居眠りを連想させ、西洋絵画においては怠惰のポーズとして描かれてきました。それが、憂鬱質の図像と結びつき、思索や熟慮の意味が強調されていきます。こうしてものを考えるポーズとして定着するのですが、その最も有名なものがロダンの『考える人』でしょう[*3]

顎と頬の違いはありますが、ロイはこの『考える人』とよく似たポーズを取っています。では、ロダンの『考える人』とは何を考えているのでしょう。そもそも『考える人』は詩人ダンテの『神曲』地獄篇に登場する「地獄の門」[*4]を造形化したもので、その中央上部に取り付けられていたものでした。

<span style="color: #808080; font-size: 10pt;">[3] オーギュスト・ロダン 『考える人』1881~82年、ブロンズ ロダン美術館</span>
[3]オーギュスト・ロダン『考える人』1881~82年/ブロンズ/ロダン美術館
<span style="color: #808080; font-size: 10pt;">[4] オーギュスト・ロダン 『地獄の門』1880~90年頃、ブロンズ ロダン美術館</span>
[4]オーギュスト・ロダン『地獄の門』/1880~90年頃/ブロンズ/ロダン美術館

これを独立した単独作品として、当初は『詩人』というタイトルで公開したのが『考える人』なのです。つまり、『考える人』とは、詩人(ダンテ)が地獄の門において、奈落に落ちていく人々を見ながら熟考している姿を描いたものでした。

その意味では、ロイの頬杖のポーズには、寿命を4年と設定され死にゆく運命であるレプリカントの地獄落ちについて思いを巡らせていたと考えられます。この構図が、『ブレード・ランナー』の最後の場面で、「地獄落ち」ならぬ、「ビル落ち」の場面につながっていることは想像に難くないでしょう。

 

ビルから落ちようとするデッカードを、死の直前のロイが『考える人』と同じように上からのぞき込み、最終的には助けるのですが、片手で梁にしがみ付くデッカードの姿は、まさに、ロダンの『地獄の門』[*5]において、すでに造形化されていたのです。

[5]『地獄の門』の部分/オルセー美術館

多分、リドリー・スコットは、デユーラーの『メランコリアⅠ』とロダンの『考える人』との関連を構想してロイとデッカードに肘をつくポーズをさせたのでしょう。こうして考察していくと、例のレプリカントの写真に映し出された図像は、『メランコリアⅠ』と『アルノルフィーニ夫妻の肖像』の核心となる「頬杖をつくポーズ」と「鏡」であり、ともに美術史家パノフスキーが分析したものでした。さすが美術学校出身のリドリー・スコットならではの演出だと、感心せざるを得ないでしょう。

しかし、それだけではないのです。実は、美術史だけでなくSF映画史にもかかわる重要な絵画がこの映画には隠されていたのです。SFの草創期に描かれた『ブレードランナー』に使われた絵画とは何か? その絵を描いた人物とは誰なのか? 次回にご期待ください。

to be continued!

著者プロフィール

平松洋
美術評論家/フリーキュレーター
[ひらまつ・ひろし]企業美術館学芸員として若手アーティストの発掘展から国際展まで、様々な美術展を企画。その後、フリーランスとなり、国際展や企画展のキュレーターとして活躍。現在は、執筆活動を中心に、ミュージアム等への企画協力を行っている。主な著書に『名画 絶世の美女』シリーズ、『名画の読み方 怖い絵の謎を解く』、『芸術家たちの臨終図鑑』、『終末の名画』、『ミケランジェロの世界』、『ムンクの世界』、『クリムトの世界』ほか多数。
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