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映画の中の名画

2020.01.06 Mon2021.09.03 Fri

ブレードランナーとSF映画へのオマージュ

映画の中の名画『ブレードランナー』編 #3(全3回)

文:平松洋

SF映画の金字塔『ブレードランナー』に登場する絵画を分析して、絵画の影響や作品の真意に迫ります。。全三回のシリーズでお届けした『ブレードランナー』編の三回目、完結編です。テーマは「ブレードランナーとSF映画へのオマージュ」。*本記事は、映画の中に登場する西洋絵画(=名画)に注目して、そこから映画の真の意味を解き明かす新感覚の映画レビュー連載です。

絵画へのオマージュが根底にある『ブレードランナー』

これまで検討してきたように、『ブレードランナー』は西洋絵画へのオマージュによって成り立っていたのです。

映画の中の名画『ブレードランナー』編 #1

しかし、それだけではありません。この映画には、ある絵画の構図を借用することで、草創期のSF映画へのオマージュも込められていたのです。それが映画の終盤で、レプリカント(=アンドロイド)を殺すはずの主人公デッカードが、逆に、レプリカントであるロイに追い詰められていくシーンに登場します。

ロイはデッカードに始末された仲間のレプリカントのゾーラとプリスの恨みとして、デッカードの指を2本折り、数秒間待ってやると言い、ワン、ツーと数を数えながら、追い詰めていくのです。そして、なんとタイル張りの壁を頭でぶち破り、壁から顔を覗かせて「早く逃げろ。さもないと殺すぞ」「生きてなきゃ遊べないだろ。遊びたくなけりゃ……」と脅かします。

この場面こそ、映画史に関わるある人物が描いた絵画からとられていたというのが、私の持論なのですが、その説をご紹介する前に、この場面の不思議な点に注目したいと思います。

人間を殺したレプリカント(=アンドロイド)のリーダー的存在のロイ・バティは、レプリカント専門の賞金稼ぎ(=ブレードランナー)の主人公デッカードに追われる/上写真はそのロイが、逆にデッカードを追い詰めるという終盤の緊迫した展開の最中、わざわざ壁を頭でぶち破ってデッカードを脅かしている場面。このショットの真意とは……

ロイの不可解な行動を絵画で解く

というのも、通常壁を破るのは、そこから侵入するためや、相手との戦闘で仕方なく壊すわけです(実際『ブレードランナー2049』では、レプリカント同士の戦いで壁が壊されます)。ところがロイは壁を突き破った頭を引っ込めると、すぐ左側の入り口から堂々と中に入ってきます。

つまり、扉は最初から開いていたわけで、ロイがわざわざ頭で壁をぶち破る必要はありませんでした。これは、逃げる相手を徐々に追い詰めて殺す「お遊び」のためで、獲物を震え上がらせ、自分から逃げるように仕向けていたということです。

しかし、壁を頭でぶち抜いた後、その首をひっこめて横の扉から入り直すという行為は、あまりに説明的で滑稽だとは思いませんか。まるでコメディアンがドアが開いているにもかかわらず、わざと壁にぶつかって笑いを取るのと似ています。

そういえば、この映画には同じようなシーンが登場しなかったでしょうか。それが、劇中で遺伝設計技術者のセバスチャンが作った人造人間の「おもちゃ」が、プリスを出迎えたときに壁にわざとぶつかって笑いを取るシーンです。

左から、遺伝設計技術者のセバスチャン、レプリカントのプリス、セバスチャンが造った人造人間のおもちゃ

このセバスチャンによって生み出された「おもちゃ」こそ、かつて宮廷に仕えた小人の道化師を模したものでしょう。西洋美術においては、ベラスケスが描いた『道化師エル・プリモ』が有名です[*1]

[1]ディエゴ・ベラスケス『道化師エル・プリモ』1644年/キャンヴァスに油彩/プラド美術館
かつてはセバスティアン・デ・モーラだと考えられてきたが、現在では「従弟」という名の道化師エル・プリモだとされている

ちなみにこの絵画は、近年まで別の道化師セバスティアン・デ・モーラの肖像だと考えられてきました(現在でも一部には、この間違った名称が流通しています)。当然、『ブレードランナー』の制作時は、この絵は「セバスティアン」として知られていて、もしかしたら遺伝設計技術者「セバスチャン」の名前はここから取られたのかもしれません。

さらにこの絵は、後にゴヤによって版画化もされ有名になっていきますが、ゴヤの版画とよく比較される版画家にジャック・カロがいます。彼もこうした小人の道化師を描いていて、映画に登場する小人の道化のコミカルな要素は、カロの版画に近いといえるかもしれません[*2]

[2]ジャック・カロ『あしなえのギター奏者』(『小さな道化たち』より)1621~25年頃/エッチング

いずれにしても、小人の道化として作られた人間もどきこそ、レプリカントの同類にほかならず、自分たちの存在が人間の「おもちゃ」にすぎないことを戯画的に表したものでした。特に、性的な愛玩用に作られたプリスは、まさに人間たちにもてあそばれる悲しき玩具だったのです。

そんなプリスだからこそ、自分と同じ人造人間の小人の道化たちと接触すると、すぐにも、その本性を現し、みずからも道化師となって、人形のふりをしてデッカードを待ち構えるのでした。

プリスが道化に変身する際、顔を白塗りにし、その上スプレーで目の周りを黒く塗ります。これは道化の中でも、イタリア発祥の道化師アルレッキーノの顔半分を覆う半仮面を意識したものでしょう。アルレッキーノは、もともとはずる賢い道化でしたが、フランスでは「アルルカン」と呼ばれ、英雄化していきます(余談ですが、英語になると「ハーレクイン」ですから、恋愛小説シリーズのタイトルにもなります)。

それとともに、笑われ役の道化師として、あるいはアルルカンの下僕的存在として登場するのが「ピエロ」で、ドランの作品をはじめ[*3]、両者をセットで描いた絵画も多数存在します。このピエロはイギリスではクラウンと呼ばれ、19世紀後半のイギリスで、サーカスと結びつき軽業師的な要素を発展させます。

<span style="color: #808080; font-size: 10pt;">[3] アンドレ・ドラン『アルルカンとピエロ』 1924年頃/キャンヴァスに油彩/オランジュリー美術館 (本作は、2020年1月13日まで開催の横浜美術館「オランジュリー美術館コレクション ルノワールとパリに恋した12人の画家たち」で展示)</span>
[3]アンドレ・ドラン『アルルカンとピエロ』1924年頃/キャンヴァスに油彩/オランジュリー美術館(本作は、2020年1月13日まで開催の横浜美術館「オランジュリー美術館コレクション ルノワールとパリに恋した12人の画家たち」で展示)

劇中でプリスは、アルルカンというよりは、軽業師的なピエロに近く、まさに、前方転回を繰り返しながらデッカードを襲い、彼の鼻に指を突っ込むなど、道化師ならではの笑える?攻撃を行います。では、ピエロを下僕とするアルルカンはどこにいるのでしょうか。それが、ロイだったのです。

ロイの行動にちりばめられた謎

ロイも最初は道化師としては登場しません。ロイが道化師に変身?したのは、道化師の姿で死んだプリスの死体に接触し、その血を自分の顔に塗りつけた瞬間です。

彼は、なぜかその血を鼻から下にしかつけません。なぜなら彼はこの時、誰にも見えないのですが、プリスが顔に描いたアルルカンの半仮面をかぶったのです。だから、鼻から上に血を着けることができなかったのです。つまり、監督のリドリー・スコットは、そこにないものを映像化していたのです。

この後、多分、ロイは服を脱ぎ捨てたのでしょう。上半身裸となってデッカードを追い詰めていくのです。まさにロイは、プリスが演じていた道化師を引き継いでいます。この道化師の行為を明らかにするため、ロイは、わざと壁に頭をぶつけて、セバスチャンが造った小人の道化の行為を反復していたのです。

それだけではありません。この場面でロイこそがアルルカンであることを、映像としても明確に描いていたのです。壁をぶち抜いたロイの図像をもう一度、確認してください。

なんと、タイルの模様が「菱形」になっていて、まるでロイは「菱形」模様の衣装を着けているかのようです。前述したドランの作品[*3]を見ても分かるとおり、「菱形」はアルルカンに特徴的な衣装の模様で、多色が被差別の象徴だった時代に、カラフルなぼろキレを縫い合わせたものが、菱形の模様となったようです(ちなみに、アルルカンの英語名ハーレクインを冠した恋愛小説シリーズのマークも菱形です)。

一方、ピエロの衣装は、ヴァトーの絵画[*4]のように、白一色でしたが、現代になると、アルルカンと混同され、まさに映画で登場したタイルのような白黒の菱形模様の衣装も登場します。つまり、道化師をあらわす菱形のタイルから顔をのぞかせることで、ロイ自身が道化師であることを映像的にコラージュしていたのです。

[4] ジャン=アントワーヌ・ヴァトー『ピエロ』1718~19年頃/キャンヴァスに油彩/ルーヴル美術館
かつては『ジル』と呼ばれていたが、パノフスキーの妻ドーラが疑問を呈し、現在は『ピエロ』と呼ばれている

そう考えると、最初に殺されたゾーラは蛇使い、リオンは怪力男、プリスはピエロ、そして、ロイがアルルカンで、レプリカントの「サークル」は、まさに「サーカス」そのものだったのです。

サーカスはかつて、不具者や異形、異端の者たちなど、被差別者たちの受け皿で、人間もどきであるレプリカントをサーカス団として描いたのはもっともでした。映画監督のフェデリコ・フェリーニ風に言えば、まさにブレードランナーの「世界はサーカス、レプリカントは道化師」だったのです。

しかし、道化師だからといって頭で壁を突き破らなければならない理由にはなりません。この頭でぶち破る図像は、ある絵画からの連想によるもので、そこには重大な意味が込められていたのです。

ロイが壁から顔を出すシーンは、多分、壁ではなくキャンヴァスを頭でぶち破った絵画から取られたものでしょう。描いたのは、誰あろう映画草創期に活躍した監督ジョルジュ・メリエスで、彼はキャンヴァスをぶち抜いて、顔を出した『男の肖像』[*5]をトロンプ・ルイユ(だまし絵)として描いていたのです。

[5]ジョルジュ・メリエス『男の肖像』1883年頃/ヴァルラフ・リヒャルツ美術館
メリエスの自画像だというものもいるが、全く根拠はなく、当時の絵画の巨匠としてモローをモデルに描いた可能性が高い

ロイとメリエスが描いた男の首の向きはもちろん、顔つきさえもよく似ていてそっくりです。ちなみにこの男の顔は、メリエスの自画像だというものもいますが、彼は若くして禿げていて鼻の形も違い、全くの別人です。

絵の中のキャンヴァスには「アド・オムニア(すべてに)レオナルド・ダ・ヴィンチ」の文字があることから、絵画の巨匠を描いたもので、メリエスの絵画の師匠で当時、巨匠として名をはせたギュスターヴ・モローがモデルではないでしょうか。

いずれにしてもリドリー・スコットは、このメリエスの『男の肖像』を意識し、わざわざ映画の中に借用していたのです。なぜなら、まさにメリエスこそが、SF映画の創始者で、史上初のSF映画『月世界旅行』の監督だからです[*6]。さらに深読みすると、自身が美術を学び、映画監督になったリドリーは、同じくモローに絵画を学び、映画監督になったメリエスにオマージュを捧げていたのです。

[6]ジョルジュ・メリエス監督の映画『月世界旅行』(1902年)の1場面

映画『月世界旅行』との関係性

この『月世界旅行』と『ブレードランナー』を比較すると面白いことに気づきます。『月世界旅行』では、地球から月に6名の人間が送りこまれますが、彼らは月旅行に出発する前の天文学者の集いで、三角帽子にフリルの襟飾りをしていて、まるで道化師のような恰好で登場します。

服を着替えて大砲の砲弾に乗り込むと、月に向けて発射されます。到着した月では、今度はサルまねのパントマイムをする道化師のような月人2名が現れ、これを殺すと捕らえられて月人の王のもとへと連れてこられます。この王を殺して全員が逃走、計6名の月人を殺し、地球に砲弾ごと落下して帰るのですが、その際に月人1人も落下して連れ帰ります。

これは、『ブレードランナー』の物語を反転した鏡像の物語と言えないでしょうか。宇宙から地球に6名のレプリカントがやってきて、いわば、地球の王であるタイレル博士を殺します(フロイトのいう父殺しの物語です)。彼らは道化師となってブレードランナーと闘いますが、計6名のレプリカントは殺され、デッカードは落下せずに1人、生き残ります。

実は、フィリップ・K・ディックの原作では、逃亡したアンドロイドは8名でした。リドリー・スコットは、メリエスの最初のSF映画へのオマージュを完徹するために、レプリカントの数を6名にしたのでしょう。

『ブレード・ランナー』の当初の設定では、これまで登場した4名のレプリカントに加え、当初「ホッジ」と「メアリー」というレプリカントが構想されていました。「1名(ホッジ)は、すでに死亡」していると説明され、「メアリー」については撮影される予定が、予算の関係でカットされたため、レプリカント1名が言及されない有名な瑕疵が生まれます(これによって、描かれなかったもう1人のレプリカントとして、デッカード=レプリカント説が浮上します)。

この欠陥を後の『ブレードランナー ファイナル・カット』で修正したのですが、普通に考えれば6名を5名に変えれば済むことでした。ところが、6名はそのままで、死亡者を2名と変更したことからも、監督の6名へのこだわりは明らかでしょう。

『ブレードランナー』とは、6名が月へ行くメリエスのSF映画へのオマージュであり、メリエスが描いた、トロンプ・ルイユ(だまし絵)である『男の肖像』を、まさに「だまし絵」のように引用することで、そのことを明示していたのです。

『ブレードランナー』のさらなる“深み”

しかも、メリエスが目指した草創期の映画とは、曲芸や奇術の延長線上にあり、道化たちが活躍する見世物の世界だったのです。事実、メリエスがリュミエール兄弟からカメラを購入しようとしたとき、競合したのは、あのマネが描いたアクロバットや蛇使いなど、見世物的なヴォードヴィル・ショーを上演していたフォリー=ベルジェールでした[*7]。メリエス自身も、奇術や見世物を上演する劇場のオーナーであり、自らもイリュージョニストとして活躍していたのです。

<span style="color: #808080; font-size: 10pt;">[7] エドゥアール・マネ『フォリー=ベルジェールのバー』 1882年/キャンヴァスに油彩/コートールド美術館 左上に空中ブランコに乗る女性の足が見える。こうしたショーを上演する劇場が最初に見世物としての映画に興味を持ったのだ(この作品は、『コートールド美術館展 魅惑の印象派』において、2020年1月3日から3月15日まで愛知県立美術館で、3月28日から6月21日まで神戸市立博物館で展示される予定)</span>
[7]エドゥアール・マネ『フォリー=ベルジェールのバー』1882年/キャンヴァスに油彩/コートールド美術館
左上に空中ブランコに乗る女性の足が見える。こうしたショーを上演する劇場が最初に見世物としての映画に興味を持ったのだ(この作品は、『コートールド美術館展 魅惑の印象派』において、2020年1月3日から3月15日まで愛知県立美術館で、3月28日から6月21日まで神戸市立博物館で展示される予定)

その出し物の中には、幻灯機のショーもあり、こうしたマジック・ランタンやファンタスマゴリアなどの幻灯機の世界が映画の前身だったのです。中でも、幻灯機で投影されていたものの一つに、セバスチャンが生み出した小人の道化師のようなジャック・カロが描いた道化師や[*8]、人間の服装をした動物たちがいたのでした。

[8]「マジック・ランタン・ショー」を描いた版画が刷られたカード/19世紀後半パリ
幻灯機によるショー。なんと、そこで写されていたのは[*2]で紹介したジャック・カロの『あしなえのギター奏者』の反転像だった

つまり、リドリー・スコットはSF映画の金字塔ともいえる『ブレードランナー』において、最初のSF映画である『月世界旅行』だけでなく、なんと映画の誕生そのものを俎上に載せていた可能性があるのです。

恐るべし『ブレードランナー』、恐るべしリドリー・スコット。一見するとシンプルな父殺しと生への葛藤のストーリーに忍び込ませた絵画のイメージに、深い意味が隠されていたのです。

映画の中の名画『ブレードランナー』編、全三回〈完〉。

 

著者プロフィール

平松洋
美術評論家/フリーキュレーター
[ひらまつ・ひろし]企業美術館学芸員として若手アーティストの発掘展から国際展まで、様々な美術展を企画。その後、フリーランスとなり、国際展や企画展のキュレーターとして活躍。現在は、執筆活動を中心に、ミュージアム等への企画協力を行っている。主な著書に『名画 絶世の美女』シリーズ、『名画の読み方 怖い絵の謎を解く』、『芸術家たちの臨終図鑑』、『終末の名画』、『ミケランジェロの世界』、『ムンクの世界』、『クリムトの世界』ほか多数。
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