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簡素な佇まいに秘められた、硯(すずり)の美学とは 第10回 宝研堂 〜硯編〜(後編)

2024.4.19 FRI

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似て非なる画材、この差って何?
あべちゃんのサブカル画材屋 紀行


簡素な佇まいに秘められた、硯(すずり)の美学とは
第10回/宝研堂 〜硯編〜(後編)

伝達手段としての「毛筆」と、修練としての「書道」

前編で判明したのは、「お習字セット」の硯のほとんどはプラスチック製で、墨をすることができないという真実。そもそも小学生の時、墨をする道具として硯を使っていただろうか。 墨汁を使った記憶ばかりが残っている。

「小学校で使う四五平(しごひら/130×75×18mm)という大きさの硯は、手紙を1~2通書く墨量を作ることに適したサイズです。45分で墨をすって、半紙に10枚の『元気な子』と書くことにはもともと向いていない」のだとか。

なぜこのような事態が起こったのだろうか。製硯師であり毛筆文化の継承者でもある青栁貴史さんは、その歴史をこう説明する。

「毛筆文化は、蒙恬(もう・てん)が筆を開発したことから始まったとされています(※1)。紀元前約200年のことです。毛筆は、荷物の内容証明やお手紙などの伝達手段として使われていました。この時代には、篆書(てんしょ)という書体が使われていて、その字はポップコーンほどの大きさ。唐代(618 - 907年)中期に、顔真卿(がんしんけい)など書法家によって、現在の楷書(かいしょ)という書法(字の書き方のこと)が作られていきました。毛筆と書法(日本でいう書道/※2)が混在して生活した時代です」
※1……蒙恬は筆の開発者ではなく、筆を改良した人だという説もあり、筆が開発された時代は、殷代(紀元前17世紀頃 - 紀元前1046年)までさかのぼるとも。

※2……書法とは、当時の審美眼の素造形的に工夫、考察された字、また書き方のこと。日本でも空海や一休宗純(一休さん)、夏目漱石など、様々な人たちが独自の書法、書体を残している。
「日本では現在、伝達手段としての毛筆文化が失われつつあります。そのきっかけは、パソコンの普及が大きかったと思います。けれど、戦前の寺子屋からの流れもあって、作法的な修練は残り続けました。これが習字の授業であり、書道です」

そして、現代の限られた授業時間内で習字を教えために、墨が墨汁にとってかわった。

「大衆毛筆文化が薄れて、専門的書道が残ったことで、現在の人々が筆を持つと、背を正して綺麗に書かなければならないという偏った考え方が残ってしまった。これは、着物文化と似ていると思います。 着物だって構えずに着用してもよいはずですし、筆や硯も筆記用具の一つとして気軽に使えるものなんです」
失われつつある毛筆文化に光を灯す「野筆セット」
毛筆文化を現代の日常生活にもう一度根付かせたいと、熱く語る青栁さん。その想いが、最近ある一つの形になったという。

アウトドアショップのモンベルより2019年4月から発売開始となった、青栁さん監修の「野筆(のふで)セット」だ。硯と小筆、墨、水差しがパッケージングされている。板状の硯に使われているのは、5ミリ厚の玄昌石(げんしょうせき)という石。ゴムのパッドでケースに固定されており、縁なく、墨堂は平ら(すり鉢状ではない)だがしっかりと鋒鋩がある。アイディアの元になったのは、青栁さんが自ら使うためにプラスチックケースにまとめていた持ち運び用のセットだったという。
 
「出来上がりを見てびっくりしました。この野筆セットを見て、誰も『背筋を正してきれいな字を書かなければ』という気持ちにはならないと思ったから。まるで、アウトドア用品のように使い込んでいく楽しさがある。例えばキャンプに行って、川の水を使って手紙を書いてみてもいいですよね。日常づかいするにもとても便利で、僕は毎日こればかり使っています」と、ご満悦。
「野筆セット」パッケージ

「野筆セット」パッケージ

誰もが小学生の時に使った、四五平サイズの硯が収められている

誰もが小学生の時に使った、四五平サイズの硯が収められている

青栁さんは、自分の使い勝手に合わせてカスタムしている

青栁さんは、自分の使い勝手に合わせてカスタムしている

使い方は簡単。板状の硯に水を数滴垂らし、墨をする。すり終わったら、付属のティッシュで硯と筆を拭き取るだけだ。「難しいことは考えず、まずは墨をすってみて欲しい」と青栁さん。

野筆セットから毛筆に興味をもった人が好みの硯に出会えるように、今後は、さまざまな石を使った硯を作ってみたい、と目を輝かしていた。
「野筆セット」を携えて歩む、毛筆文化のこれから

野筆セットは、毛筆文化の復権に大切な役割を果たすはずだ、と話す。

「書道用品店で毛筆セットが買えるのは当たり前のことですが、天然の硯を使った毛筆セットがアウトドアショップで買えることに意味があります。毛筆のある暮らしから遠ざかっている方々に対しても、違う角度から毛筆との接点を生み出すことができるからです。野筆セットの実現にあたっては、モノを作りだす以上にコトにを作りお届けすることが大切だと考えています」

文房具として毛筆を選択肢の一つにもう一度入れて欲しいという想いが生んだ「野筆セット」だが、青栁さんは教材としての可能性も見出しているという。

「僕はこれまでに小学校などで、硯についての授業を行ってきました。プラスチックの硯では墨はすれないこと。硯は小筆を使う環境で考案されたもので、記録や伝達手段に用いる筆記用具の一つとして使われていたということ——。こうした書道用具元来の役割を伝えるためには、野筆セットに加えて、硯や筆、墨、紙の本質を伝える絵本などがあることで、日本全国の小学校で授業が展開されていくかもしれないと考えています。これは、毛筆文化を日本に残すために考えている施策の一つです」

一方で、書道用具の専門店としての役割をきちんと果たしていきたいという青栁さん。

「硯に対してストイックに求められているプロの方がいる。それにしっかりと応えたい。硯の基礎は1500年前に発案され、今でもその形や造形哲学は受け継がれていますが、今の科学だから分かることや実現できる造形が必ずあるはずです。使い手の欲求を満たすものづくりは、技術者としての本分。プロの方に頼りにされる店でありながら、一般の人にとってはボールペンを買いに来るような気軽さで、ふらっと利用しやすい場所でありたい」

日本で唯一の製硯師として、毛筆文化の継承者として。硯を愛する人たちや、良質な道具を必要としている人たちに応える技術を、青栁さんはこれからも磨き続ける。
取材後、青栁さんより編集部宛に届いた直筆のFAX

取材後、青栁さんより編集部宛に届いた直筆のFAX


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モンベル・カスタマー・サービス
住所/大阪市西区新町2-2-2
TEL/06-6536-5740
URL:https://www.montbell.jp/

「野筆セット」ご購入先
URL:https://webshop.montbell.jp/goods/disp.php?product_id=1124740
※次回の入荷は、2019年秋頃を予定

 

●宝研堂
1939年創業。文房四宝の取り扱いだけでなく、都内で唯一硯の工房を持つ書道用具店。先代のご父祖様やお父様の代には、中国で製造された石などを輸入して、硯の改刻(かいこく・ 彫り直し)や調整、研磨、研ぎまでを請け負っていた。4代目の青栁貴史さんは、原石から硯づくりを手がけている。硯の制作や彫刻、修理まで何でも相談できることから、貴史さんを「硯のお医者さん」と呼ぶ人もいるとか。

住所/東京都台東区寿4-1-11
アクセス/都営浅草線「浅草駅」A1出口より徒歩3分、東京メトロ銀座線「田原町駅」出口3より徒歩5分、都営大江戸線「蔵前駅」A5出口より徒歩5分
営業時間/9:00〜18:00(月〜土曜日)、10:00〜17:00(第1、3日曜日)
定休日/第2、4、5日曜日、祝日
TEL/03-3844-2976
URL:http://www.houkendo.co.jp/
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