今回は書籍『パンとサーカス／島田雅彦』（講談社）の使用フォントについて、ブックデザインを手がけた川名潤さんに取材。特徴的なタイトル文字などの制作過程に迫ります。
*本記事はデザイン構成において重要な「フォント」の選定プロセスや加工方法を、プロの実例から紐解いてデザイン制作に役立てる連載です。

装飾的な文字でタイトルが想起させる娯楽性や猥雑さを表現

不正隠蔽の犠牲となった父の復讐を果たすため米国留学を経てCIAエージェントとなった男が、日米両政府の表と裏を巧みに欺いて日本国民のかたきをとる姿を、現実の世界情勢を織り交ぜつつ壮大なスケールで描いたエンターテインメント巨編『パンとサーカス／島田雅彦』。2020年7月から翌年の8月にかけてブロック紙大手の朝刊に連載されたのち、加筆修正を経て単行本として刊行された。タイトルの『パンとサーカス』は、古代ローマの詩人ユウェナリスが当時の世相を揶揄した表現に由来しており、「政治的関心を失った民衆には食料（パン）と見せ物（サーカス）を与えておけば支配はたやすい」の意。

表紙カバーでは、冒険やサスペンス、政治など、ジャンルの枠を超えた作品世界が、欧文書体のエレメントをベースにした装飾的なタイトルロゴや、さまざまな画風の作品をモザイク状に配置したメインビジュアルなどで表現されている。デザイナーの川名潤さんによれば「連載時に掲載されたアーティストユニット『コントラ・ムンディ』による挿画の熱量が高かったので、それをカラーでもう一度見せたいと思いました。ひとつのジャンルにとらわれない作品世界や、タイトルの『サーカス』の語感が持つ娯楽性、猥雑さを、題字などの文字要素に反映するよう心がけました」とのことだ。

ちなみにアーティスト名の「コントラ・ムンディ（『世界の敵』を意味するラテン語）」は作中に登場する秘密サークルの名称から取られている。また本書の装丁者名も、作中に登場するデザイナー「大鴉ノア」の名でクレジットされている。

Font.01「オリジナル」
欧文書体のエレメントをもとに作り起こした文字で印象的に

メインタイトル「パンとサーカス」部分は、作品の内容や「サーカス」という言葉が持つイメージに合わせて作り起こされたオリジナルの文字。表情豊かなセリフ体「Plantagenet Cherokee」（Tiro Typeworks）など3種類ほどの欧文書体のエレメントをもとに制作された。書体見本はメインで使用された「Plantagenet Cherokee」のもの。

川名さんによれば「タイトルはあくまで愚民政策の比喩表現で、小説自体はパンやサーカスとは関係ありません。ただ、サーカスという言葉の語感が持つ娯楽性や猥雑さは作品の内容に通じるところがあるので、それを文字要素にも反映するようにしました」とのこと。

Font.02「游築見出し明朝体」
金属活字がベースの伝統的な明朝体を選択

著者名部分は、大正時代の金属活字をもとに制作された見出し明朝体「游築見出し明朝体」（字游工房）に。ジャンルの境界を超えた作品の多様性を念頭に、タイトルロゴとはイメージが異なる伝統的な書体が選択された。幅狭のタイトル文字とのバランスを考慮して、75％ほど長体がかけられている。

Font.03「Sidewalk Cafe BF」
個性的な欧文書体で猥雑さを

タイトルや著者名の欧文部分は、1930年代のポスターの手書き文字をもとに開発された、波打つような横画や個性的なフォルムが印象的な「Sidewalk Cafe BF」（Bomparte's Fonts）に。タイトルの語感が持つ娯楽性や猥雑な感じを表現するため、他の文字要素とは異なる雰囲気を持つカジュアルな書体が選択されている。