小さなマッチ箱に詰まった時代のデザイン「マッチ ~魔法の着火具・モダンなラベル~」展 | デザインってオモシロイ -MdN Design Interactive-

小さなマッチ箱に詰まった時代のデザイン「マッチ ~魔法の着火具・モダンなラベル~」展

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小さなマッチ箱に詰まった時代のデザイン「マッチ ~魔法の着火具・モダンなラベル~」展
亀戸天神や東京スカイツリーにも程近い「たばこと塩の博物館」で、明治から昭和にかけて製造された多彩なマッチラベルのデザインを紹介する特別展「マッチ ~魔法の着火具・モダンなラベル~」がスタートした。19世紀後半、西洋から日本にもたらされたマッチは、開国したばかりの日本の製造業に大きなインパクトを与え、そのラベルデザインは、時代や販売先、用途によって多彩な変化を見せた。

生活に密着した消費財である「マッチ」は、市井の人々にとって頻繁に目にするアートであり、時局や流行を敏感に反応するデザインだったのである。同展では着火具としてのマッチの歴史や、骨董価値の高い着火具なども紹介しているが、この記事では消費用のマッチ箱やラベルに焦点を当てて紹介してみたい。

2019年6月5日
(取材・文/編集部)
輸出用マッチのデザイン、始めは西洋の模倣から
時代は世界への扉を開いたばかりの明治初期。デザインにおいても、日本的なものと西洋、東洋が入りまじり、(現代の我々の目から見ると)アンバランスな状態で組み合わされた上に、妙にインパクトの強い作品がたくさん生まれた時代の話だ。

大量のマッチを海外へと輸出することになった日本では“海外向け”のマッチラベルが必要になった。国内販売用のマッチは、天狗、金太郎、弁慶、旭日など日本で親しまれている図案が多かったが、海外向けにはどうしたのか? なんと、当時デザイン性の高さで定評があったスウェーデン製のマッチラベルを、ほぼそのまま模倣してしまったのである。

下図は、スウェーデンのラベル(左)と、兵庫県製の初期輸出用ラベル(右)の比較展示。「Säkerhets-tändwtickor」とは、安全マッチを意味するスウェーデン語だが、その文字や字形、配置、意匠までがほぼそのまま使用されている。
左:スウェーデンのラベル 右:兵庫県製の初期輸出用ラベル

左:スウェーデンのラベル
右:兵庫県製の初期輸出用ラベル

今では考えられないことだが、日本において商標ラベルの存在意義が確立されたのは明治以降の時代である。初期の輸出用ラベルは、欧米製品の模倣が大多数を占めていた。オリジナリティのないここまでの“真似”は褒められたものではないが、洗練された西洋のデザインが日本のパッケージデザインに取り入れられたことには大きな意味があるだろう。

その後、1917~19年頃をピークに大量に輸出されていったマッチのラベルは、日本的な要素が加味されたり、輸出先の好みが反映されたりして、徐々に独特なデザインが生み出されていく。

中国向けには福・禄・寿に通じるモチーフや、原色に近い赤・黄・緑を組み合わせた配色。1912年の中華民国成立を祝って、中華民国の国旗である五色旗や革命時に使われた十八星旗、辛亥革命の“革命三傑”と言われた孫文・黄興・黎元洪の肖像など、中国の時局を反映したものが見受けられる。

インド向けの輸出品は、電気銅板による版の複製が可能になった1910年代に多く作られたこともあり、四色刷の精細なものが多い。図案は、ヒンドゥー教の神話に取材したものや、マハトマ・ガンジー像など。青い肌の神は、ヒンドゥー教の神のなかでも、とくにインド人に愛されているクリシュナだ。
中国に輸出されたマッチのラベル

中国に輸出されたマッチのラベル

インドに輸出されたマッチのラベル

インドに輸出されたマッチのラベル

輸出の盛んだった時期に、マッチラベルの印刷を担っていたのは、マッチ製造業者の下請け的性格が強い業者で、製造業者が具体的な図案を提示することはほとんどなかったそうだ。そのため、印刷業者は人気の商標をない交ぜにしながら、新商標を考えだしていた。特に中国向けの製品は“頑張ってひねり出した”感が強くて面白い。類似商標や似た構図の図案が続出した背景には、こうした製造側の事情もあったようである。
苛烈な意匠権争い:黒ベタに白ヌキが斬新だった「象ベスト」
当時、人気が高かったマッチラベルのデザインをいくつかご紹介しよう。マッチラベルは「赤」が多かった中で、黒ベタに白ヌキという斬新なデザインで好評を博したのが「ベストマッチ」、通称「象ベスト」と言われる製品だ。

「象ベスト」は、1887年に日本燐寸製造の創業者・直木政之介が同業の秦銀兵衛(はた ぎんべえ)から譲り受けた商標で、1889年に商標登録もされているが、発売されるや否やすぐに類似品が登場している。加藤豊著「マッチラベル博物館―近代日本のグラフィズム 加藤豊コレクション」によると、実に26種の類似商標が出回ったそうだ。
「象ベスト(上)」と「類似商標(下)」

「象ベスト(上)」と「類似商標(下)」

この頃には、既に「商標条例(1884年)」が制定されていたが、右上の円の中が象でなければ新たに商標登録できてしまうような緩いものだったようだ。愛称が“象”ベストとはいえ、ダイナミックなイニシャルと中央に斜めに入った英文字のレイアウトこそが意匠であるのは明らかである。「商標」「意匠」という認識が日本に根付くには、もう少し時を待たなければならないようだ。

「象ベスト」の商標権を持つ直木は、自ら類似商標の指名手配に乗り出し、1891年には農商務大臣に直談判して、摘発した類似商標の登録権を取り消させたとの逸話が残されているが、真偽のほどは明らかになっていない。
品質のよいマッチはデザインもマネしたい! 「尾長猿印」が流行らせたアーチ型デザイン
「尾長猿印」は、清国市場に出回っていたスウェーデン・マッチ社の商標を、怡和(いわ)号という貿易商が盗用し、日本の製造業者に発注して製造販売させた商標だ。このような経緯から、「尾長猿印」を使いたがらない製造業者も多かったが、製造を請け負った良燧社のマッチが高品質で人気を博したため、このアーチ型のデザイン形態は一種のスタンダードになっていった。

国内用、輸出用を問わず、アーチ型の帯にブランド名を入れたデザインは、その後も数多く製造されている。ヨーロッパで「リボンスタイル」と言われるパターンに近く、英文字との相性も良かったようだ。
「尾長猿印」

「尾長猿印」

馬蹄は中国では魔除け、欧米ではラッキーアイテムとされているモチーフだ。この馬蹄をあしらったデザインは海外需要と流行のデザインを取り入れたハイブリッド型というところだろう。馬首印のマッチは海外でも国内でも販売され、販売元が変わりつつも平成まで続いたロングセラーとなっている。
大正末期~昭和のデザイン ~バリエーション豊かな広告用マッチ ~
国内で販売されていたマッチのラベルは、伝統的な図案のものから、戦時高揚や祝勝と言った時局を反映したもの、その時流行していたデザインの物など、時代によって移り変わっていったが、最も多様なバリエーションが生まれたのは、大正末期からさかんに作られ始めた広告用マッチにおいてである。アール・デコ調のデザインや、カフェーやダンスホールといった当時の雰囲気が感じられるもの。床屋や交通機関、天婦羅、すき焼きといった文字も読み取れる。

ブックマッチも忘れてはいけない。ブックマッチは戦前から作られていたようだが、戦後になって現代に近い形へと定着したようだ。
戦前・戦後の広告用マッチ

戦前・戦後の広告用マッチ

戦前のブックマッチ(上)と戦後のブックマッチ(下)

戦前のブックマッチ(上)と戦後のブックマッチ(下)

歯磨き粉やお菓子の箱を模したマッチも作られていた

歯磨き粉やお菓子の箱を模したマッチも作られていた

1970年代以降、マッチは不可欠な着火具ではなくなっていったが、飲食店や旅館などでもらえる広告用マッチは、もらう側にとって訪れた場所の記念にもなる。こうして巷に溢れかえった広告用マッチは、限られた好事家たちの趣味だった「マッチラベル収集」を大衆的な趣味にしていくきっかけにもなった。

ここまで見てきたマッチラベルは、いずれも有名デザイナーが手掛けた珠玉の作品というわけではなく、謂われも様々だ。しかし、だからこそ面白い。5センチにも満たない小さなラベルの中には、時代が求めたデザインが詰まっているのである。

【たばこと塩の博物館】
https://www.jti.co.jp/Culture/museum/index.html
たばこと塩に関する資料の収集、調査・研究を行い、その歴史と文化を常設展示を通して紹介する企業博物館。幅広いテーマを取り上げた多彩な特別展も年に5回程度実施している。運営はJT。

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