
第77回 ネットスケープへのレクイエム 後編
前回に引き続き、今回もネットスケープにまつわる話をしていきますが、注目したいのが、マーク・アンドリーセンです。日本の小浜市も大フィーバーな大統領予備選ですが、彼がオバマを支持するだけで、記事になるくらいの大物。ネットスケープとのかかわりとともに、Web業界有名人の開発魂も紹介していきます。
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[プロフィール] お がわ・ひろし●1996年、デル、ゲートウェイの代理店としてマレーシアにて日系企業及び在住邦人向けのPC通販ベンチャーを創業するなど、アントレプレ ナーとして活躍。その後日立製作所を経てサイボウズにジョイン。feedpathの基本設計を考案し、フィードパス株式会社のCOOに就任するが、 2007年12月に退任。現在は㈱サンブリッジにて起業準備中。ブロガーとしてSpeed Feed、「Web2.0BOOK」「ビジネスブログブック」シリーズなどの著作がある。 |
ネットスケープの敗因
ネットスケープは一時は世界のブラウザー市場の80%以上を占めながら、結局はマイクロソフトの追い上げにあい、歴史の舞台から消え去る運命に甘んじることになりました。この理由を、創業者であり初代のCEOであるジム・クラークは、マイクロソフトのなりふり構わぬ”違法性の高い”反撃のためであり、フェアな戦いではなかった、と自伝で振り返っています。しかし、実際にはそれだけではなく、ネットスケープ自身がインターネットの可能性とその成長の速度を甘く見ていたことに原因はあると考えます。
どういうことかというと、マイクロソフトはWindowsというOSをコンピューティングのプラットフォームとして考えていたことに対して、ネットスケープはブラウザこそがコンピューティングのプラットフォームとしてとらえていたということです。ところが現実には、Webそのもの、およびWebの上で動くアプリケーションあるいはサービスこそがプラットフォームであり、ネットスケープが考えていたより速く、そのパワーシフトは進んでいたということなのです。つまり、ネットスケープ自身がネットの成長速度とパワーシフトの加速度を見誤っていた、ということです。
ブラウザーからポータルへ
ネットスケープはブラウザによってOSを無力化しようとし、マイクロソフトはOS+ブラウザの密接な組み合わせによってブラウザ市場を制圧しつつ、プラットフォームとしてのOSの地位を守ろうとしていました。しかし、実際にはWebそのものがプラットフォームになりつつあり、その前段階としてのポータルが当時としては最も重要な存在になっていることに両者とも気がついていなかった。
マイクロソフトはISPとしてスタートしたMSNのポータル化を進め始め、ネットスケープはネットセンターというポータルを公開することで遅れを取り戻そうとしましたが、片手間でありYahoo!を追撃するには至りませんでした。時代を読み違えた両者でしたが、ネットスケープはそのまま衰退し、体力のあるマイクロソフトは現在までなんとか生き延びたものの、Yahoo!以上にインターネットにフィットしたGoogleとの直接対決に直面している、というのが現状です。
マーク・アンドリーセンというアイコン
また、その創業自体、シリコングラフィックスの成功で知られていた老練な起業家ジム・クラークに見初められた若き天才児マーク・アンドリーセンの出会いが、一通のEメールから始まったというエピソードもロマンティックで、ベンチャーを志す者にとってはたまらなく刺激的です。
マーク・アンドリーセンは、ネットスケープ・ナビゲーターおよびその前身であるモザイクの設計者として有名ですが、彼自身は一行もコードを書いておらず、Webブラウザのあるべき姿と未来像を正確に捉え、無いものからあるべき形を生み出した、インターネットにおける最重要人物の一人です。

そのマーク・アンドリーセンは、いまでもWeb全体の進化にとって重要な役割を積極的に果たしています。Webアプリケーションを簡単に構築していくための仕組み Ningはオープンプロジェクトとして多くの賛同者を得ています。彼の最近の活動は、彼自身のBlogで知ることができます。

ネットスケープは、消え去ります。しかし、その志を継ぐ者は多く、平等でダイナミックなインターネットの世界を目指す試みは、今後も続いていくでしょう。
次回をお楽しみに!!





